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この世のどこかでいいから

愛するおじさまとお泊まりした翌日などに、友達に
「昨夜飲みすぎちゃって今朝つらかった〜。おじさまも死んでた」
みたいなことを言うと、
「花野が言うとシャレにならない」
とツッコまれる。
本当に死んでてもおかしくない年齢なんだから、と。


そう言われると私も思わず笑ってしまうのだが、実際に一緒に寝ている時におじさまがあまりに静かだと、ひょっとして呼吸が止まってるんじゃないかと急に心配になることがある。
薄暗がりの中で目を凝らして見て、胸がちゃんと上下しているのがわかるとホッとする。
そうして、本当はキスでもしたいけど、疲れているおじさまを起こさないようにそっとくっついて眠り直す。


昔々愛していたおじさまは、若い頃に心臓を患いニトログリセリンを持ち歩いている人だった。
セックスしている時、ふと今おじさまが死んじゃったらどうしようと思う瞬間があった。
おじさまは私なんかと会っていてはいけない人だったので、もしも倒れたら、救急車を呼ぶ以外にもたくさん考えなくてはいけないことがあると思った。
実際には大丈夫だったし、おじさまに気持ちよくさせられ過ぎて何も考えられなくなっているので、そんなことが頭をかすめたのは一瞬だったけれども。


先日寒い雨の降った日に、ベランダにひよどりが来て大きな声で鳴いていた。
窓越しに眺めていたら、鳴く度に細いくちばしの先から見落としそうなほど小さな白い息が上がっているのが見えて、
「ああ、生きているんだな」
と思って、とても可愛らしく感じた。
そういえば、実家にいた愛する愛する犬が床に顔をくっつけて眠っている時に、鼻から吐く息で規則正しく床が白くなるのを見た時も、同じように思った。


私は昔好きだったおじさまが二人亡くなっている。
どんなに懐かしく思っても、もう二度と会えない。
世界中のどこを歩いたって偶然会うことも無いのだ、と改めて思い知ると心が乱れる。
もし生きてくれてさえいれば、再会できる可能性だってあったし、笑って私のことを「馬鹿だな」ってからかってくれたりしたかもしれないのだ。


なぜこんなことを思い出しているかというと、遠出ができない世の中になって以降行っていなかったお店のご主人が亡くなり、店を閉めていたことを知ったからだ。
ご主人と女将さん二人でやっている小さな割烹のお店だったが、料理は美味しいし、店構えも素敵だし、いつもすごく歓迎してくれるし、なんならそのお店に行きたくて旅行の行き先をその町にするぐらいだった。
ご主人はおじさまより若かったし、こんなことは思ってもみなかった事だった。


だから、今、好きな人が生きているのはやっぱりいいものだなと思う。
息をしているのっていいなと思う。
たとえ会えなくたっていい。
この世のどこかでいいから、みんな生きてて欲しいなと思う。


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