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無駄に動いてきたことが力になる

そうそう、

そう言って自分を正当化しよう(笑)

と、まぁそんな風に思っているわけでもないですが。


やったこと、やってしまったことを
無駄だったと本人が思っていると


正直なところ罪悪感しか生まれません。

これはお金の使い方とかもそうですね。

罪悪感て誰に対して思うのかね?
誰に対しての罪悪感なん?


それは親に対してだったりするのだろうか。

例えば、
また無駄なことしてカッコ悪〜と

周りに思われることですかね。
何か言われるからとかですかね。


まぁ…

それは仕方ないですわ。
わたしも思わなくもない。


でも思考がちっさいかもです。


堂々と無駄な動きをしてみると
段々わかってくることもある、

ということを経験で知ると
そればかり思っていることがアホらしくもなってくるのです。


何がわかってくるか。

それは、

情報と情報、
意識と意識の間のコミュニケーション。

内なる世界でコミュニケーションが行われる、
ということですよ。

自分ワールドが構築されていくということ。

そこでバシッとポイントが合う。
ぶつかり合うんですよ。


で、

注意が必要なのは、

その「無駄」に対しての罪悪感があればあるほど
その情報のコミュニケーションはされない。

ということです。


色々が本当の意味で「無駄」に終わるということ。

他者批判をしないとかジャッジしないとか
その辺りの感情も必須になるから

結構、技術は必要なんだろうけど…


「自分」が「自分」をやっていれば、

正直、そんなこたー氣にならなくなる。


さぁ、

堂々と無駄をやってみましょうぞ。


※道連れか〜い


hana

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