そうそう、 そう言って自分を正当化しよう(笑) と、まぁそんな風に思っているわけでもないですが。 やったこと、やってしまったことを 無駄だったと本人が思っていると 正直なところ罪悪感しか生まれません。 これはお金の使い方とかもそうですね。 罪悪感て誰に対して思うのかね? 誰に対しての罪悪感なん? それは親に対してだったりするのだろうか。 例えば、 また無駄なことしてカッコ悪〜と 周りに思われることですかね。 何か言われるからとかですかね。 まぁ… それは
ルパード・シェルドレイクという生物学者の ”形態形成場理論”がめちゃ好きだ。 昔は科学者の間で賛否両論だったこの理論も、 これ抜きでは実証されないことも増えてきているそうで 発見したシェルドレイクは 時空を超えて喜んでいることだと思う。 エネルギー関連や量子物理学を学んでいくうちに この”形態形成場”がどれだけアートに貢献しているか 感じずにはいられないのだ。 やはり芸術と物理も共通項は多い。 歌だって周波数だし、 歌わなくったって伝わることもわかっている。
なかなか形にできない想いが どんどん増幅して爆発する。 「諦め」と同時に そのゼロのフィールドで パン!!と何かが弾ける感じ。 その後からは粛々と作業が執り行われる(笑) そこからは『無心』なのです。 あれこれと無駄に考えなくて良くなる。 やるのみ。 溜めていた期間が長い分 その威力もデカいのだ。 エネルギー関連に関わると そんなことがとても当たり前なことに氣付く。 ひたすらやるのみ。 hana
大変だった時、 齋藤ひとりさんの言葉に だいぶ助けられた過去。 毎晩毎晩、 聴きまくった。 日々何氣に読んだり聞いたり 当たり前のことになって 今やメンタルも過去イチ最強だ。 いやもちろんそれだけが要因じゃないのだけども。 『神が梅をくれたら 梅干しを作る』 という言葉を思い出したんよね。 神様に梅(ひらめき)をもらったら 梅干し(知恵)を作る。 その過程を自分で構築する。 自立とはそういうことなんだな。 梅を与えて下さったのだから 梅干しや梅ジ
やっと踏み込む決心をした。 って大袈裟だわ〜w 単純に、 置き去りにしていた活動を 本氣で再開することにしただけ。 いや、それだけじゃなくて もっとパワフルな何か。 エネルギーの世界と同じ。 量子物理とアートの世界をつなぐことも。 古代歴史の意味からも、 日本の女性が立ち上がらないといけない時。 体で伝えなくては!ということが多すぎる。 日本の本当のたましいと共に。