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適応障害、限界だった私がまだ働いている話。

前回、適応障害になり退職をしようとしたけれど踏みとどまった
といった内容の記事を書きましたが
その後のこと(現在)について少しだけお話を。

退職をせず働くという選択をした私。
そこに待っていたのは今までと変わらない地獄の日々。

あなたが居なくなると聞いて、知り合いで働いてくれるという人に頼んだ。
でもあなたがそのまま辞めないのでその人には申し訳ないけれど…という話をした。
まだあなたは頑張ると言ったのに、何も変わってないじゃないか。

その通りだ。
今まで以上にシェフからの目は厳しくなるし、迷惑をかけたのも事実。
ただ、仕事が出来るようになるわけじゃない。

今日、帰ったらまたドアノブにタオルをかけて、首が吊れるのか試してみよう。
そんなことを考えているうちに1日が終わり、また1日が始まる。
毎日トイレに逃げ込んで家族の写真を見て動悸がおさまるのを待ち、泣きながら仕事をしていた。

それから2ヶ月後、新しい人が入ってきた。
50代ほどの、自分の店も持ったことがある経験のあるおじさん。
自分のお店が潰れてからはホテルで働いていたらしい。
おじさんは明るくて面白い人だった。
職場は一気に明るくなった。
私の心も、かなり楽になった。

それからの厨房はおじさんとシェフ、2人になることが多かった。
シェフの怒りはおじさんへ向かった。

おじさんは少し大雑把な人だったのだ。

明るかったおじさんはシェフの前では喋らなくなり、イライラを表に出すこともあった。
仕事に対する熱意も消え始め、人ってこんなに変わるのかと。変えてしまうことができるのかと。怖くなった。

ただ、私への怒りは今までの2割ほどになり、私は緊張から少し解放された。
シェフからは成長したと言われるようになった。

おじさんは2ヶ月で辞めた。

それから2ヶ月、現在である。
以前と比べ、シェフの私に対する態度は明らかに変わった。
おじさんがいた2ヶ月、緊張から解放されて成長した2ヶ月。
そこでの印象が大きかったのだろう。
ただ、今もシェフの機嫌によって左右されたりするときもしばしばある。

私は前のように泣いていない。
腕も掻かなくなった。
動悸もしない。
怒られた時、言い方や態度はスルーして
言われていることの内容だけを受け取るようにした。
内容はたいがい正しいことが多かった。

ただ、時々心が疲れてしまってトイレに駆け込み
わんわんと泣くときもある。

何が正解だったのか、そんなことを最近よく考える。

親友から、私の知り合いでも新卒で適応障害になって辞めた子がいると聞いた。
珍しいことではないんだな。そう思った。

私のように適応障害でも働いている人
退職するのをやめた人
私も正解が分からないので大したアドバイスはできないけれど

・退職をやめたあとは今まで以上に頑張り、印象を覆さなければ地獄のまま
・当人同士(この場合私とシェフ)だけでは関係を修復するのは難しい

この2つは大体合っているのかも。

適応障害と言われて半年。
真っ暗闇にいると思っていた半年前。
半年前から、得たものはあるのかな。
辞めたら後悔すると思った。それだけ。

今は働きながら、自分の人生に価値のあるものだけを選択していけるように模索中。
準備が整ったら退職しよう。そう思っている。

シェフも若い頃は怒られ殴られ、毎日死にたいと思っていたと聞いた。
そんな時は空を眺めていた、だから辛いなら空を眺めろと言われた。
シェフから怒られシェフから慰められ
ちぐはぐな関係で
不器用な人間だなと思う。
不器用で、彼自身も自分に問題があると気付いている。
優しいところもある。私に対して教えようとしてくれている。
彼の周りから人がいなくなってしまうのを見たり聞いたりして、
離れようとしている私の罪悪感は日に日に膨らんでいる。
離れたいのに離れることが辛い。
意味がわからない。
どうにかしてくれ。

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