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適応障害と辛くないエビチリの話

新卒3ヶ月目、私は適応障害になったらしい。

私は今、レストランで働いている。
高校を卒業して上京、調理学校へ通いフランス料理を学ぶため渡仏した。
コロナの影響で一年だったはずの留学期間は半年に縮まり、強制帰国。
途方に暮れた私は知り合いの紹介で、地元北海道を離れ関西にあるレストランに就職した。

社員寮があると聞いて所持金三万円だった私は飛びついた。
やりたかったフレンチでは無くイタリアンだったけれど。
関西なんて高校の修学旅行で行った、USJの記憶しかないけれど。

実際に行ってみると社員寮は無かった。

そこのレストランはとにかく使っている素材が超一流という謳い文句で関西だけで無く、食通の方々ならまあ知っているだろうというレベルのレストラン。

見学という名目で伺うと、その場で面接、適正チェック、そのあと実際にレストランで働いてみるという感じで
あれよあれよと話が進んでいった。

1ヶ月後、部屋を借りた私は就職した。

勿論初めは何もできないので掃除、掃除、掃除。
ホールの仕事を覚えて、掃除。
来る日も来る日も掃除した。
その店は特に掃除に関して厳しかったのだ。
食材に触れる日は来るのだろうか。

そんなことは覚悟していたので全く問題ではない。
ただ、問題は…
上司である。

シェフと、先輩1人、そして私というかなり少数精鋭(?)でやっているこのレストラン。
1人消えると営業に甚大な影響を与える。

この小さい密室の中、シェフの怒りが私へと向かう。

遅い、違う、なんでそんなこともできない、なんでそんなことも知らない、ちゃんとやって、簡単なことなのに、何回同じこと言わせるつもり?、あれも汚いこれも汚いやり直し、もうやらなくて良いから

何かを間違えるとため息、ゴミを見るような目、密室で常に監視されているような環境、
水をかけられたこともあった。
目の前で空気を入れた袋をパンと割られたこともあった。
賄いはゲロみたいな味がすると捨てられたこともあった。
返事が小さいと、他の人の前に連れて行かれてでかい声ですみませんって叫べと言われた。

朝が来るのが怖かった。
朝起きると息が苦しくて動悸が止まらなかった。
仕事中、何回も泣いた。
怒られて泣いてるわけではない。出てきてしまうのだ。
それでもお客様の前に立たなければいけない。
マスクに感謝した。

手が常に震えていた。
怒られると腕を掻きむしる癖がついた。
腕は真っ赤になっていた。

私はとうとう、生まれて初めてカウンセリングに行った。
仕事中、トイレに逃げ込みその場で調べて予約した。

昔から割と人の目を気にしたりするので、気分は落ち込みやすい方ではあるけれど、
本格的に(カウンセリングの)プロに頼むのは初めてだったので、もう、限界が来ていると自分でも分かった。

落ち着いて話を聞いてもらうはずが、うまく話せなかった。
もしかしたら、私は何か責められるかもしれないと思った。私は何かおかしいかもしれないと思った。
質問されても、うまく答えられなくて、怒られてるような気分になって、また腕を掻いてしまった。

ちょっと待って、怒ってないよ。
そう言われて、自分がまた腕を掻いていることに気付いて泣いてしまった。

それはシェフがおかしいよね、指導じゃなくていじめだよ。
と言われて、ホッとしてまた泣いてしまった。

それからすぐに連休があり、実家に帰った。
適応障害と言われた。仕事を辞めようと思う。
親にそう伝えようとしたけれど、言えなかった。
帰りの飛行機に乗る前に、LINEで伝えた。

連休明け、社長に(経営者が別でいるのです)辞めたいという諭旨と、シェフとのことを話した。
シェフも交えて話した。
私は辞めることになった。

辞めるまでの1週間半は、死ぬほど行きたく無かった。
だけど、行くべきだ。行かなければいけない。

そう思い、あと3日となった時、先輩に少し話ができないかと言われた。
仕事が終わり、先輩の車でコンビニに行きコーヒーを買い、話した。
ここで辞めたら次にそれ以上はいけない、また同じことの繰り返しと言われた。
先輩は私が適応障害ということは知らなかった。
でも、先輩の言葉は私の心を大きく奮い立たせたのだ。

辞めることを辞める。
そんなことはしていいのかわからなかったけれど、後悔はしたく無かった。
社長は快諾した。

シェフからの目はともかく、心機一転頑張ろう。そんな気持ちだった。

ただ、私が思っているよりも私の心は弱かった。

一度辞めると言った者の肩身は狭い。
現実が変わるわけでもない。
また辛い日々が待っているだけだ。

自分を呪った。辞めればよかった。今更また辞めるとは言えない。
動悸も涙も止まらなかった。
部屋のドアノブにタオルをかけた。
昔好きだったX JAPANのhideは、自宅のドアノブにタオルをかけ、首を吊っていたらしい。
私がhideを知った時はもうこの世にはいなかったけれど。

家族の顔が浮かんだ。彼氏や友達の顔が浮かんだ。
タオルはドアノブからすり抜け、首を吊ることはできなかった。

それでも毎日仕事は行かなければいけないのである。
新卒4ヶ月目になる頃だった。

休みの日、彼氏と大阪に遊びに行った。
サムギョプサルを食べるはずがお店が満席で入れず、ビルの中の中華料理屋さんに行った。
出てくる料理が全部辛かった。
辛いのが苦手な私はほとんどを彼に渡して、
そういえば、仕事辞めようと思ってたんだよね、それも辞めたんだけれど。と、かる〜く伝えるように心がけてかる〜く伝えた。
なんと驚くべきことに、彼は泣いた。
釣られて私も泣いた。
自分が愛されていることに泣いた。

次の日、辛いのが苦手な私に彼は辛くないエビチリを作ってくれた。

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