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新型コロナウイルスでマスクが店頭からなくなって思うこと。



 新型コロナウイルスがはやり、日本の店という店からマスクがなくなっている。

 わたしはホームセンターで働いているのだが、もちろんわたしの働いているところからもマスクがなくなっている。毎日毎日来るお客さんに「マスクはありませんか」と聞かれ、「すみません、ありません」と断っている毎日だ。
 それまではその行為に心が痛まなかったが、このあいだお客さんに「私、花粉症なの。マスクがなくなって、本当に困っているのよ……」といわれ、はっとした。そうか、花粉症のひとはマスクがなくなったらいったいどうしたらいいんだろう。なんだか胸がくるしくなり、はじめて本当に申し訳ない気持ちになった。

 わたしはいままで接客業ばかりしてきたので、こうしたお客による「買占め行動」をずっと目の当たりにしてきた。
 たとえばテレビで「朝バナナで痩せられる」と放送されたら次の日店からバナナがなくなり、書店に勤めていたときは、バラエティ番組でダイエット本が紹介されたらその本が馬鹿みたいに売れて、
 数百冊積んでいた本がみるみるうちになくなっていった。

 わたしは書店で実用担当をしていたため、ダイエット本の入荷の担当もしていた。
 だからよく知っているのだが、わたしのところには毎日メールが届いていて、数週間後に『〇〇というバラエティ番組で〇〇というダイエット本が放送される』という情報がきたときには、その本を数百冊ほど事前に仕入れるのが絶対にしなければならない作業だった。
 「こんなに仕入れて売れるの?」とはじめは半信半疑だったが、実際に、テレビ放送の次の日にはどんどんその本は売れ、レジにくるお客さんは面白いほどみんな同じようにその本を買って行った。
 それがまた一回や二回のことならばいいのだが、驚いたことに、それは数か月に一回の頻度で、定期的に起こることだった。


 わたしはいままで生きてきたなかで、いわゆる「買い占め」ということ一度もしたことがない。
 そういうひとの方が大多数だろう。買占めをしているのは一部の人間である。しかしその一部の人間により、多くの人間が困らされているのが現状だ。


 少し前、わたしの地域で、指定のゴミ袋が100円値上げするということがあった。
 その一週間まえから、当然のようにゴミ袋が店内から消えた。同じひとが5個も10個も買っていくからだ。またしても困ったようにお客さんが「ゴミ袋ありませんか」と聞かれる。そのお客さんは値上げのことを知らなかったから、純粋にゴミ袋を買いにきた方なのだ。
 いつものようにゴミ袋を買いに来て、売り場が空になっていたら驚くだろう。「すみません、ないんです」と応えるときのやるせなさ。接客業をしていて、何度この気持ちを感じなければならないんだろう。
 職場にも同じようにゴミ袋を大量に買っているひとがいた。「花森さんも買っておけばいいのに。どうして買わないの?」とそのひとに聞かれた。わたしは戸惑った。「いや、みっともなくないですか?」という言葉が喉まで出かかったがいえなかった。

 だって普通に考えて、わたしの家にはまだ燃えるゴミの袋のストックがあるからいいけど、もしちょうどこのタイミングでゴミ袋がなくなったひとがお店に買いにきたときに、売り場が空だったら困るだろう。
 そういうことを想像できないのだろうか、と思った。
 そんなに難しいことじゃないだろうに、とも思った。
 べつにわたしが買わないからといって、他のひとが買いまくって、結局は売り場はすっからかんになった。だからわたしの行動は意味がないともいえる。だけど、だからといって「じゃあ、わたしも買おう」とはならなかった。


 今回のこともそうだった。
 ほんの一か月前まで、マスクは売り場に箱でずらりと並んでいた。
 そのときは今のように「マスクは一人一枚まで」という制限もなかったため、コロナウイルスが流行り始めたとき、お客さんはこぞって箱を10個、20個と大量買いをしていった。
 みるみるうちに売り場に山のように積まれていたマスクがなくなっていくのを、わたしはレジからぼんやりと眺めていた。
 

 お客の異常な買占め行動は、今までは呆れながらも心のなかで笑いながら見ていた光景であったが、今回は笑ってもいられない。
 なぜなら今回は病気にかかる、下手すれば命にかかわる問題だからだ。
 
 もしかしたら本当に自分の命を守るため、マスクを買わないといけないのかもしれない。
 

 コロナウイルスが全国に蔓延し、マスクが本当に店頭からなくなったとき

 マスクを買い占めたひとたちは、家に大量にあるマスクを見て、「ああ、あのとき買っておいてよかった」と安堵の息を吐くのだろうか。

 マスクを買い占めなかったひとたちは、マスクが一枚もない事実に絶望し、「ああ、あのとき買っておけばよかった」と心底悔やむのだろうか。


奪いあえば足らぬ、わけ合えば余る

 そういったのは相田みつをさんだ。

 たしかにそうだ。それがこの世の真理だ。
 だけどそれを実行できないのが人間の真理なのである。
 


 わたしはどうしていまだにマスクを買えないのだろう、と考える。
 べつに相田みつをさんの言葉に陶酔し、「わたしは奪わないぞ」などという高尚な気持ちがあるわけではない。
 ただ、なんとなくいやだ。気が乗らない。


 書店につとめていたとき、定期的にダイエット本がはやり、そしてテレビで放送され、そしてまるでみんな図ったかのようにその本を買い、どんどん売れ、なくなり
 「あの本はないんですか」と詰め寄られ、「すみません、ありません」と応えていたときに感じていたなんともいえない脱力感を、いまも感じている。
 あのときのざわざわとした、心にまとわるつくような嫌悪感が、わたしにマスクやアルコールといった商品を買わせる手をとめている。


 だけどもちろん、この先コロナウイルスが全国に蔓延し、わたしの住んでいる県にまで被害が及ぶようになるころには、
 おそらく“マスクをつけること”がマナーになるだろうから、必然的にマスクを買うはめになるだろう。


 そのときは当然マスクは、以前買っていたよりもかなり割高の値段になっていることだろう。 
 『マスクは一人一枚』という制限がなかった頃にマスクを買うより、そのときに慌ててマスク買うことは、何千円、へたしたら数万円は損をしてしまうことなのかもしれない。


 だけどそのときに、「ああ、やっぱりあのとき買い占めておけばよかった」と、それだけは思わない。そう決めている。






 

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