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手を振る人たち

公共の場で赤の他人から手を振られる、こちらもお返しに手を振りかえす。2022年の夏。とある場所で姉と私はブンブン手を振りまくることとなった。夏に日本へ一時帰国した私を気遣い、心優しい姉は一緒に立山・黒部の週末旅を計画してくれた。折角だから宇奈月にも行き念願のトロッコ電車にお目にかかろうよと姉の案にのり、窓のないオープン型の車両に乗り込んだ。この電車は黒部川の電源開発のために引かれた工事専用の単線なので車両も小さく可愛い。トンネルに入るたびにスーッと気温が下がりウィンドブレーカーが役立つ。渓谷を眺め2つか3つ目の駅に到着すると「下り電車の通過待ちをします」と告げられた。通過する側の乗客の中にこちらに手を振ってくれる人がポツポツいる。乗務員の人は勿論、駅の構内で働く人は必ず私達に手を振ってくれる。私も姉も手を振った。アラフィフの私達は側から見たら おばさんが喜んで手を振る姿なのだが姉と私は踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らなにゃ損々の精神をモットーにチャンス到来の際は乗る。「手を振ってくれるかね〜。」「子供は結構、ふってくれるね。」と言いながら反対車線の乗客に手を振り続けた。実は大人はあまり手を振りかえしてくれない。ノリの良い車両もあればノリの悪い車両もある。ちょっと意気消沈した私は手を休めたが姉はめげない。コロナでみんな手を振る元気もなくなってしまったのかい? と内心、心配しながら姉一人に重責を背負わせてはならないので再び参戦した。大人が手を振りかえしてくれる確率は ①若い子、②子供連れの大人、③おばさん群、④たまにおじさんが単発 このグループが若干高めになる。緑豊かな渓谷の写真を撮り、車内アナウンスの室井滋氏の明るい声で笑顔は3割増に。宇奈月トロッコ電車の旅は「リピート確定 」判子を押し幕を閉じた。

8月、2022-23の新学年度を長女は編入した小さな高校でスタートした。公共交通機関が発達していない大国なので基本 家族の送り迎えが主流。中には自分で運転してくる生徒もチラホラ。高校生達は一方通行の送迎場にたむろし順番を待つ。一週間も経たないうちに迎えの私の車に乗り込んだ長女が「あの子はね、あそこに立って帰って行く友達の車に手を振るんだよ。」そう言った先にはルービックキューブをクルクル回すアジア人の男の子がいた。数週間考えた挙句、私は意を決して車の中から手を振ってみた。50−50のカケだった。するとその子は、見ず知らずの私に手を振りかえしてくれた。やったぁ成功。その日から私は今日は居るかな(学校来てるかな)?  と、その子の姿を探し手を振った。助手席に座る長女は「(学年の違う知らない子に)手を振るのはやめて!」と怒りを露わにした。これは私がやっているのだから気にするな。私と同じようにしろとは言わないと説明した。そのうち長女は「私は振らないから」と不貞腐れ 終いに諦めた。そんなわけで私と男の子はここ数ヶ月、お互いに名も知らぬまま手を振りあい生存を確認しあっている。

丁度この頃NHKのラジオドラマ「手を振る仕事」を聴いた。内容は社内でいじめにあったり体調を崩した鉄道職員達が駅近くのアパートの一室から電車のお客さんに向かって手を振る仕事を会社から与えられ、ちっとも振りかえしてくれない乗客に手をふりながら自分の存在意義を考えるもの。作者はコロナでコミュニケーションの在り方、そして生きる意味を考え創り出した作品なのかもしれない。どちらにせよこのタイミングで聴いたラジオドラマが私に高校生に手を振ってみようと背中を押してくれたことに変わりはない。

日系の飛行機に乗ると地上で荷物を機体に詰める人や燃料を補給する整備士の人たちが動き出す機体の乗客に向かって手を振ってくれたり会釈をしてくれたりする。リムジンバスも同じで荷物を車体から出し終え 次の停車場へと出発するバスの乗客に向かって会釈をしてくれる。次女はこの光景を座席の窓から眺め感動し涙した。ヨーロッパやオセアニアはどうか知らないが私が住む国ではあり得ない。だから私は余計に地上スタッフの方々に向かって機内や車内から手を振る、たとえ彼らに見えなくとも。

ある人には手を振ることは容易いことも、もしかしたら別の人には照れくさいことなのかもしれない。それならそれでいい。手を振れる人が振ればいい。たとえ振りかえさなくとも手を振る人を見て嫌な気持ちにはならないだろう。


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