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目先の快楽に負けたくない


スローな毎日にはたっぷりの時間がある。
この時間をどう使うか。
今年は時間を大切に使いたいと思い、バーチカルで予定管理し始めたのに、気がついたら特に何もせず二月の三分の一が終わった。

何をしていたかというと、大体の時間を目先の快楽に溺れて過ごしてしまっていた。

目先の快楽、つまりは煩悩である。

手っ取り早い快や楽。
私の場合は食や動画、ドラマ、映画。
いつでもどこでも食べ物が手に入り、ネットでいつでもみれちゃう手軽さ。そしてそれに浸ると五感が満たされる心地いい時間になる。
これほどに手軽に心地よくなれるモノはない。


だが、それに溺れる日々に本当の望みは遠ざけられ、むしろどんどんと腰が重たくなるのだ。

ちょっとDIYして本棚作ってみたいなと思っても、作り方調べて材料買って採寸して組み立てて…そのパワーが出ないのだ。やりたいことなのに。目先の快楽がすぐそこにあることを知っているから…。

ちなみにこのnoteももはや目先の快楽なのだ。
思考を解き放つことは気持ちがいい。それをシェアできるなんてものすごい快だ。そして、ものすごく簡単。
noteはまだ世の中の役に立つことをしている感覚もあるからまぁまだいいのだけど、食べたくもないのに目先の快楽のために食べて、ずっとダラダラみたいわけじゃないのに目先の快楽のためにみるのは我ながら意味わからない。
今時間があるから余計にそこから抜け出せなかったりもする。簡単に快を得られすぎて中毒になっている気さえする。

ここ最近はもうすぐ3歳になる娘も時間を見つけてはYouTubeが見たいと言う。そして、親である私は1人おとなしく簡単に夢中になってくれるそれに乗ってしまう。
本当はそれに勝るほどの遊びを提供してあげたい。ちょっと面倒でもそうして煩悩を超えた愉しみを体で覚えないと、この簡単に快感を得られるモノに溢れた世界であなたはあなたの人生を大切に、濃く、過ごすことは難しいだろう。


自分自身の今の生活も、娘の暮らしぶりを見ていても、とても苦しい。スローライフを続けるのならこの種の煩悩を超えなければならないし、今がそのタイミングなのかもしれない。

便利な時代になればなるほどこの誘惑は増え続けるのだ。昔もテレビゲームなんかはあったにせよ、今はスマホさえあれば布団の中でも家の中じゃなくてもトイレに行く数分でも煩悩に浸れるのだ。
手間暇をかけて人生を豊かにすることからどんどんと遠ざかってゆくのは目に見えている。


さぁ、どう抜け出そうか。

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