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そんな言葉にはハリセンを

 中身のないものほど、大きな音が鳴るものだ。
 たらいや一斗缶なんかも、中身のない方が大きな音が鳴る。その音は、結構耳についてうるさい。

 人と話していて、時折、
 中身、どこにやったの?
 そう思えるような言葉を投げかけられることがある。そんな言葉にモヤモヤしてしまうのはバカバカしいと思いつつも、バカバカしいからこそ、どうしようもなくイライラしてしまう。

 上っ面だけで、良いことを言った気になっている人というのは本当に厄介だ。それを良い言葉のように勘違いする人もいるのかもしれないが、耳を澄まして聞いてみれば、中身がないからいい音が鳴るんだな、ということに気づく。

 そういう中身のない言葉は、相手の思いや心情を慮ることなく、気安く言われることが多い。耳障りの良い言葉を得意になって使い、上辺だけでわかったように物を言うのだ。

 自分の思いを満たすだけの同調や否定は、中身がないだけではなく、相手の負担にもなる。適当で共感のない同調や、自分の好き嫌いだけを押し付ける否定をすることは、空っぽの箱を宅配便で送りつけるようなものだ。キレイで丈夫な箱なら活用できる可能性があるが、そういうときの箱は大概、手垢がついてペラペラで触りたくないような代物ばかりである。

 そういう言葉を、受け取り拒否で返却できればどんなにいいだろうと思う。でも拒否したところで、その理由を問いただされ、うんざりすることになるのが関の山だ。送り付けた側は、何で戻ってきたのかわからない。そういう人だから、空箱を送りつけるような真似ができるのだ。だったら関わるよりも、一旦受け取ってしまった方が楽な気がしてしまう。

 そうなると、いつでも捨てられるように、中身のない箱は畳んで紐でくくっておくしかない。その箱はゴミの日まで部屋の片隅に置かれることになるわけだが、それが目につくたびに、言われたときのイライラがよみがえってくる。

 中身のない言葉の残響が頭の中を回る。言葉を受け取らないでいるのは本当に難しい。気安くそんな言葉を投げかけられたとき、 

 黙れ!馬鹿野郎!

 とでも言って、スパーン!と相手の後頭部目掛け、ハリセンをはたき込むことができたらどんなにいいだろう。
 相手に悪気はないのだからと、気にしないように努めるよりも、心の中だけで、勢いよくハリセンでひっぱたいてしまった方が、精神衛生上いい気がする。

 そんなことを言いつつも、私は例え想像であっても、人をハリセンで叩くことに罪悪感を抱いてしまうようなヘタレである。

 こっちは箱を畳む手間をかけているのだから、心の中でハリセンを使うことくらい許してほしい。そう思いつつも、やはり私はハリセンで人を叩くという想像ができない。結局は、相手に痛い思いをしてほしいわけではなく、自分の心をざわつかせないでほしいだけなのだ。

 罪を憎んで人を憎まず。
 そんな言葉がある。罪は憎んでもいいらしい。ならば、言われた言葉を漫画の吹き出しに閉じ込めて、それをハリセンでパチーン!とはたき飛ばすのはどうだろう。
 それならば、人ではなく、言葉だけを張り倒せばいいのだから罪悪感もない。思春期のお子さんに傷つくことを言われてしまった。そんなときのモヤモヤにもいいかもしれない。

 私は今、バットの素振りの如く、勢いよくハリセンを使うためのイメージトレーニングを楽しんでいる。ハリセンは、叩かれたら確かに痛いのだろうが、長くお笑いの世界で使われてきたこともあり、どこかおかしみがある。自分がハリセンで素振りしているのを想像しただけで、ふと笑いがこみあげてくるから不思議だ。
 イメージだけではなく、実際にハリセンを作って素振りでもすれば、ひねり運動にもなって、ダイエットにもなるかもしれない。名付けて、 

心身爽快!ハリセンダイエット!

 成功した暁には、是非一儲けしたいものだ。




ハリセンイメトレ動画



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