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お姫さまの食卓

 その日、私は完全にお姫さまだった。

 当時、二十歳。
 結婚して間もない頃で、慣れない生活に気疲れしたせいか、私は風邪をひいて寝込んでいた。実家にいた頃は、何の気兼ねなく寝込むことができたが、結婚するとそうもいかない。

 その日、夫は休みだったのだが、私が寝ていたせいで、朝食、昼食と満足に食べさせてあげられなかった。せめて夕飯は何か作りたいと思ったが、体が思うように動かない。

 何もできずに寝ていることが後ろめたくて仕方がない。溜まっていく家事を横目で見ながら、私はおかしなくらい苛立ちを感じた。
 正直言えば、このまま寝ていたい。でも、何か作らなければ……
 そんなイライラが間欠泉のように噴き出し、夫の前で突然、私は子供のように泣いた。

「おがあざんの、ぎょおざがだべだいぃぃぃぃぃ」

 翻訳すると、
「お母さんの餃子が食べたい」
 である。

 誰かに食事を作ってもらっていた頃が懐かしい。もう、あんな生活はできないと思うと、急に切なくなった。この先休みなく、具合が悪くても、ずっとずーっと、台所に立ち続けなければならない。そう思うと、何だか追い込まれるような、切羽詰まったような気持ちになった。

 私は結婚してからずっと、半日近くを台所で過ごすような生活を送っていた。

「美味しいごはんを作らないと、旦那さんなんて、すぐ帰ってこなくなるわよー。まぁ、ちゃんと作っても帰ってこない、うちのお父さんみたいなバカもいるけどね」

 そんな母の自虐的な冗談を、私は心のどこかで真に受けていたのだ。冷凍食品やスーパーのお総菜なんてもってのほか。毎日の食卓は、美味しく飽きさせず、きちんと手作りしないといけない。そうじゃないと、男はすぐフラフラとどこかへ行ってしまう。

 美人でもなければスタイルがいいわけでもない。私に、男心を引き留めるほどの器量などない。せめて食事くらい満足に食べさせなければ、真面目で優しい夫ですら、父のようにフラフラしてしまうのではないか。そんな強迫観念があった。 

 夫の胃袋をつかむ。
 令和になった今、時代錯誤も甚だしい話かもしれないが、二十数年前にはまだ、そんな風潮が残っていたのだ。

 周囲からまだ若いと言われながら結婚し、実際至らぬことも多かった。だが、料理だけは完璧にこなしたいと意気込み、空回りした。寝込んでしまったのも、訳の分からないプレッシャーを、自分でこしらえていたせいかもしれない。

 びょーびょー泣く私をなだめるように、夫は言った。

「じゃ……じゃあ、お母さんに電話して、餃子を作ってもらったら? オレ、取りに行くよ」

 その一言で、私の涙がピタリと止まる。
 すぐさま電話を手にし、「今すぐ餃子を作ってほしい」と母に頼んだ。

 餃子というものは、実に手間のかかる料理だ。
 複数の野菜をみじん切りにし、水気を絞ってひき肉に混ぜ合わせ、一つ一つ皮に餡を包む。それでもまだ食べられない。くっつかないように注意しながら、色よく焼かなければならないのだ。
 私は高校生のときに急に餃子にハマり、母に何が食べたいか訊かれると、餃子をリクエストすることが多かった。今になって考えてみれば、こんな手の込んだ料理を、母はいとわずに作ってくれていたのだ。

 ありがたいことに、このときも急な頼みにもかかわらず、母はすぐさま餃子を作り、最寄り駅まで持ってきてくれた。夫はそれを受け取って、即帰宅。魚焼きグリルで餃子を焼き直してくれた。

 母と夫の連携プレーによって生み出された餃子が、湯気を立てて食卓に並んでいる。それを口に運んだとき、心と体が一気にほぐれていくのを感じた。

「ぼいぢいよぉぉぉ~」

 翻訳すると、
「おいしいよ~」
 である。

 込み上げる涙とともに、がんじがらめになっていた気持ちが、溶けて流れていく。

 結婚したら、誰にも甘えられない。料理もきちんと作らなければならない。そう思い込んでいた。
 妻というものはこうあるべきだ。
 という理想に、私は追い詰められていたのだ。だが、その理想は、子供のように夫や母に甘えてしまったことで、あっけなく崩れてしまった。本来ならば、情けなくて落ち込むところだが、私は、誰かに甘えることができた自分に、どこかホッとしていた。

 わがままを聞いてもらえたときの、あの満ち足りた感覚を思い出すと、私の心は今でもほくほくと温かくなる。

 あの日、私はお姫さまだった。

 食べたいものを作ってもらい、運んでもらい、食卓に上げてもらった。こんな贅沢、家ではなかなかできるものではない。

 誰にも頼れない気がして、心が頑なになりかけたとき、私は夫と母に甘えた、あのときの自分を思い出すようにしている。

 私にはお姫さまになれる図太さがある!

 そう思うだけで肩の力が抜け、心の底から少しずつ元気が湧いてくるのだ。私は二十数年経った今でも、あの日の餃子を、胸の奥で味わっている。

 


 

 


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