出不精の選択
面倒臭がりのうえに、筋金入りの出不精のせいで、毎日家に引きこもってばかりいる。そのせいで気づかぬところで損をしてきたかもしれない。でも、それを気に病んだりしないのは、やはり家にいるほうが性に合っているからだろう。
そんな私を外に連れ出してくれたのは夫である。
夫も特に活発なタイプではないが、若い頃バイク乗りだったこともあり、旅が好きだった。そんな夫に付き合って出かけるうちに、まぁ、旅行くらいなら出かけてもいいかな……と思うようになった。
旅の間は家事をしなくていいし、何よりその土地ならではの名物が食べられる。出かけるのは面倒臭いが、家事からの解放と名物の摂取は、私の重い腰を上げさせるのに充分な理由となったのだ。
いろいろなものを食べさせてもらったが、中でも思い出深いのが広島の宮島口で食べた《うえののあなごめし》だ。
香ばしくて、あなごがふっくら。ご飯ももっちりと噛み応えがある。
ご飯と炙られたあなごが口の中で交じり合い、香りが鼻に抜けていくのを感じた後、私は思わずこう言った。
「あー、これ、ばあさんに食べさせたいわー」
ばあさんとは、私の祖母のことだ。
食べるのが好きで、食べ物のこととなると、恐ろしいまでに口うるさい。何か口にしては、甘いだの酸っぱいだのと文句を言っている。
一度、有名店の饅頭をお土産に買って行ったら、それを口にした祖母は目をギラリと光らせ言い放った。
「この店、味が落ちたね」
よく、《出されたものは文句を言わずに黙って食べろ》などと言われるが、私の祖母は出されたものを黙って食べることができない人だった。しかし、そんな祖母でも、この《うえののあなごめし》ならば、絶対に唸るはずだ。
そう思うと、どうにかして食べさせたいと思うのだが、残念ながら《うえののあなごめし》は、東京では食べられない。穴子のちらし寿司などは通販しているのだが、私が旅先で食べたあなごめしそのものを取り寄せることはできなかったのだ。
祖母に《うえののあなごめし》を食べさせるには、本人を広島に連れていくしかない。だが、高齢の祖母を広島まで連れて行くのはやはり大変だし気を遣う。いくら食べ物にうるさい祖母でも、あなごめしのためだけに老体に鞭打って出かけようとは思わないだろう。
しかし、全く策がないわけではなかった。
あなごめしを世に生み出した《うえの》は、年に一回、京王百貨店新宿店で行われる駅弁大会に、あなごめし弁当を出品しているのである。
宮島で食べたあなごめしがあまりに美味しかったので、私は広島に滞在中に広島三越店に行き、再びあなごめし弁当を買ってホテルで食べた。
折詰の中で一体感が増したあなごとご飯!
これが、本店で食べる以上に美味しかったのだ。二度食べてみて、絶対に祖母も気に入る味だと私は改めて確信を持った。
その弁当が年に一度、東京にやって来るのである。
よっしゃ! そうと決まれば、駅弁大会にレッツゴー!
……良い孫であれば、すぐさまそうやって立ち上がるのだろうが、私は出不精。しかも筋金入りである。
有名な催しである駅弁大会は毎年大混雑だ。
人でひしめく会場を想像するだけで、祖母にあなごめしを食べさせたいという気持ちがしゅるしゅると萎えていく。私は祖母にあなごめし食べさせたいと思いながらも、長年、その思いを放置するという、親不孝ならぬ祖母不孝っぷりを発揮していた。
だが、忘れもしない2020年の1月。
正月が過ぎて、ぼーっとネットニュースを見ていたら、京王百貨店の駅弁大会開催の記事が目に飛び込んできた。
ああ、今年もやるんだなぁ、と思った頭の片隅で、うえののあなごめしを思い浮かべる。ばあさんに食べさせたいんだよなぁ……と思ってため息をついた。
頭に浮かぶ大混雑の会場に、またもや気持ちが萎え始めた次の瞬間、ふと私は考えた。
あれ? うちのばあさんって今年でいくつになるんだっけ?
私は改めて祖母の年を計算してみた。
「えーと、うちのばあさんは確か酉年の大正生まれだったから、うーんと大正10年、西暦にすると1921年生まれかぁ。と、いうことは、今年は2020年だから、……2020引く1921は……そうか、うちのばあさん、今年で99になるんだなぁ……」
ええっ!! 99歳!?
私は思わず立ち上がった。
呑気なことに、私は祖母がそこまで年寄りだとは思っていなかったのだ。だが年齢だけ見れば、いつお迎えが来てもおかしくない。縁起でもないが、その日が明日になってもおかしくない年である。
その事実に私は狼狽えた。
しかし、駅弁大会であなごめしを入手するには開店前からデパートの前に並び、整理券を手にする必要がある。しかも弁当の到着は昼過ぎ。それまで数時間もの間、時間を潰さなければならない。面倒臭がりやで筋金入りの出不精にはこのハードルが新宿の高層ビルよりも高く見える。
行くべきか、行かざるべきか……。
駅弁大会に行くかどうかを決めるのにハムレットを気取るのもどうかと思うが、私はこのときようやく、《行くべき》を選び、自分のお尻をバンバン叩いて重い腰を持ち上げたのだった。
あれから4年が経つが、つくづく、行っておいてよかったと思う。
もしあのとき、いつものように、
まぁいいか。
と思っていたら、私は祖母に《うえののあなごめし》を食べさせることはできなかった。
祖母が突然意識不明になって亡くなった2020年の4月のこと。
一緒にあなごめしを食べた日が、祖母の顔を見た最後になってしまった。まだ誕生日前だったので、享年98歳。母から聞いた話だと、眠るように静かに逝ったそうだ。
疫病の流行もあり、私は祖母の死に目に会うこともできず、感染を恐れるあまり、葬儀にも出られなかった。
そんないろいろな後悔がある中で、《うえののあなごめし》を祖母に食べさせ、喜んでもらえたことだけが、唯一、私の心の慰めになっている。
お読み頂き、本当に有難うございました!