見出し画像

そうだ、サンドイッチにしよう!

 私は食いしん坊である。
 飲食店に行けば、夫との会話そっちのけで、メニューを熟読し、noteで美味しそうな記事を見ては、幾度となく突き指しそうになってきた。

 なんだ、君はnoteを見ながらドッジボールでもしているのか。

 と思われるかもしれないが、そうではない。

 食べてみたいなぁ…。

 と思うあまり、パソコンのモニタに、手を突っ込んでしまいそうになるのだ。大体、こんな美味しそうなものを見せられて、手を伸ばすなというのが無理なのである。


 こういったものを見せられては、私も涼しい顔などしていられない。本能を制御するだけで精一杯である。もし思うままに本能に従っていたとしたら、私はパソコンのモニタを幾度となく買い替える羽目になっていたに違いない。己の優秀な制御機能にあっぱれである。

 ちなみにこれらは全て、そうだともさんが作ったサンドイッチだ。

 断面が良い塩梅あんばいで美しい。
 私はパンが好きというわけではないのだが、こういう画像を見てしまうと、あぁ、ワインと一緒に食べたいなぁ。とか、夫にこういうサンドイッチを買って、コーヒーでも淹れてあげたら喜ぶだろうなぁ、なんて考えてしまう。

 私の夫はコーヒーが好きだ。
 我が家は朝食は玄米ご飯に納豆、味噌汁という、割烹着のおっかさんが作りそうな和食なのだが、食後、夫にコーヒーを淹れると、

「あら、忙しいのに、すみませんねぇ」

 などと言って喜んでいる。
 ちなみに私はバリバリの緑茶党。コーヒーは香りだけで十分という人間だ。でも、こういう美味しそうなサンドイッチを見ると、たまにはコーヒーもいいかもしれない、などと思う。

 緑茶党の心を揺るがすサンドイッチである。

 私の近所には、数件、総菜パンやサンドイッチを出す店がある。素朴で美味しいものから、お洒落で美味しいものまで様々だ。でも、そうだともさんのサンドイッチは素朴でお洒落。色味も具の配分も、見るからにちょうどいい。食べたら、歯ざわりや食感が心地いいだろうなと妄想してしまうのだ。心が直球で「食べてみたい!」に向かってしまう。

 こうして見ると、やはり料理も自己表現なのだと思う。
 色彩感覚も大事だし、こうしたら美味しいんじゃないか、と想像力を働かせないと、見た目も味も、良いものを作るのは難しい。美味しくできたり、失敗したり、そういった過程が次の料理に繋がっていく。

 私も料理は嫌いではない。
 しかし、こういったサンドイッチを作るのが、本当に苦手なのだ。毎回ものすごい量の具を詰めようとして自滅してしまう。

 まるで、タイトなジーンズに、私というわがままボディをねじこんでいるときのようだ。もちろん、タイトになってしまったのは己の不摂生のせいで、元は普通のジーンズだった。かなしい。

 それにもかかわらず、残念なことに、私は何でも大盛りが好きだ。普通のジーンズがタイトになろうが、なんであろうが、いっぱい食べたい。玉子サンドでも、これでもかと玉子が詰まっていると、可愛い犬猫を見たときのように、目尻が下がってしまう。

 そんな性格が災いしてか、私がサンドイッチを作っても、具が多すぎて、どこか野暮ったくなる。いつも見ているサンドイッチが、


 こういうサンドイッチなので、自らに課すハードルが、スカイツリーレベルまで上がってしまっているのだ。

 しかしそんなサンドイッチ作りが苦手な私にも、これならば!と思ったものがある。

 ドッグパンに、ミートソースが詰められている。
 これならば! これならば、私でも、それなりの見た目で作れるかもしれないぞ!

 そうだ、そうだ!そうだとも!


 このように、一瞬、私の心はこの上なく盛り上がりを見せた。しかし、私は大盛りをやらかす人間である。加減を知らない。きっとドックパンを手に取った途端、私の自制心は崩壊するだろう。ミートソースを詰め過ぎて、ドッグパンがモーゼの海渡りのごとく、裂けて割れていくのが容易に想像できる。

 やはり私のような人間は、大人しく指をくわえながらモニタを見ている方がよさそうだ。




 美味しそうなものは、人と共有したいという気持ちが湧くものです。今日は、何だか強烈にそんな気分になってしまいました。
 それにしても、こうして記事で、そうだともさんのサンドイッチ画像を並べさせて頂くと、メニュー表のようで壮観ですね!
 冒頭でも述べた通り、私はメニューを見るのが大好きなので、今、この記事を眺めながら、ニヤニヤしています。そうだともさん、いつも美味しそうなサンドイッチ記事を有難うございます!


 そうだともさんが、ご自身のサンドイッチ記事を、マガジンにしてくださいました!やった!いやーーー! 本当にメニュー表みたいです。嬉しい。


お読み頂き、本当に有難うございました!