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三日とろろに偲ぶ

1月3日の朝、我が家では三日とろろを作る。
三日とろろは、お正月の3日目に、
長寿や健康を祈願して、とろろ汁を食べる風習のことだ。
まだまだお正月気分が抜けないのだが、
三日とろろを作る時だけは、私は厳粛な、
しんしんとした気持ちになってしまう。

2日の夜、夫に、
「明日の朝は、三日とろろだよ」
と伝えると、一瞬、寂しそうに顔を歪めた。
夫はとろろが好物だ。でもどうしても少し、悲しいのだ。
私は、静かに頷き、その表情に応える。

私達夫婦は、この時、同じ人物を思い浮かべていた。
円谷幸吉である。

円谷幸吉は、東京オリンピックのマラソン競技で、
銅メダルを獲得したランナーだ。
しかし、そんな偉大なランナーであるにもかかわらず、
メキシコシティオリンピック開催年の1968年1月9日、
円谷幸吉はカミソリで頚動脈を切って、自殺を図る。

その時に残した遺書は、
川端康成や三島由紀夫など、文人たちの心を打った。

父上様 母上様 三日とろろ美味しゅうございました

の一文から始まる遺書は、その後も、

干し柿、餅、寿司、ぶどう酒、リンゴ、しそめし、
南蛮漬、葡萄液、養命酒、モンゴいか

と、正月の祝いの席で食べた品々をあげ、
それらを用意してくれた親戚の名前を出し、
「美味しゅうございました」と言って感謝していく。
最後は両親へ

父上様母上様 幸吉は、もうすっかり疲れ切ってしまって走れません。
何卒 お許し下さい。
気が休まる事なく御苦労、御心配をお掛け致し申し訳ありません。
幸吉は父母上様の側で暮しとうございました。

と書かれ、この遺書は終わる。
全文は検索すれば、すぐ読める。それくらい有名な遺書なのだ。


私は、この遺書をはじめて読んだ時、知らぬ間に涙がこみ上げてきた。
正月のご馳走がいかに美味しく、嬉しかったか。
死ぬような思いを抱えながらも、
ひとときの安らぎを、祝いの食卓に感じていたことが伝わってくる。
ご馳走とは、読んで字のごとく、走り回って、準備するものだ。
その苦労に対する感謝が、とても深い。

人に対する、世間に対する恨みつらみなど残さず、ただ、
ありがとう、さようなら
と言って去っていく姿は何とも切ない。

しかし、そう思うことに、私は多少の罪悪感、葛藤がある。
苦しみの中で自死を決意しなければならなかった、その思いを脇において、私は、円谷幸吉の、切なく美しい遺書の言葉に
酔いしれているだけなのではないか。
その自死を、甘い感傷で、包み込んでいるだけなのではないか。

毎年1月3日になると、そんな思いでとろろを作る。

お読み頂き、本当に有難うございました!