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五文字で言い切る

 先日、友人に用事があり、電話をした。
 気心知れた友との会話というものは、徐々に本題から離れ、完全な雑談になってしまうものだ。その日も、用件から完全に逸脱した会話の中、友人が、

「最近、鬼滅の刃を見ましたよ」

 と言った。
 私も友人も、あまり流行に乗るタイプではない。その友人が、とうとう鬼滅の刃を見たと聞き、私は興奮した。未だに私は、鬼滅の刃がどんな話なのかをほとんど把握していないからだ。

 一度だけ、禰津子という巻物を咥えた女の子が、突然、ひょいと子供のように小さくなり、テテテテテ、と走っていたのを見たことがある。敵から逃げていたようだったが、それが妙に可愛かった。その姿を見て、私はハイスクール奇面組きめんぐみ一堂零いちどうれいが、急に二頭身になって「零ちゃん、ぶつじょぉー」と言いながら手足をばたつかせていたのを思い出し、懐かしい気分になった。

 その程度の知識しかない私が、友人からあの大ヒット作の概要を教えてもらえるチャンスが来たのだ。私は、やや食い気味に、

「どうだった?」

 と聞いた。どんな感想が飛び出すのか、私はワクワクしながら、次の言葉を待った。すると彼女は、

「まぁ、要するに鬼退治だね」

 そう言い切ったのだ。
 私は思わず「鬼退治」という言葉が何文字か、指を折って数えてみた。「お・に・た・い・じ」合計5文字だ。

「あの大ヒット作を5文字で言い切るなんて、それはあまりにも要約し過ぎじゃないかい?」

 そう言って私は笑った。熱心な鬼滅の刃ファンの皆さんからお叱りを受けそうである。
 しかし、鬼滅の刃の要約を5文字でまとめてしまった友人の才覚に、私は感嘆した。確かに、鬼滅の刃というタイトルからして、鬼退治には違いないのだろうが、それを改めて、馴染み深い日本昔話「桃太郎」の領域に落とし込んで「鬼退治」と言い切った彼女に、私は清々しささえ感じた。
 物事を短い言葉でぱっと言い切れるというのは、はたで聞いていて、なかなか気持ちのいいものだ。

 今まで色々なアニメが登場し、話題になってきたが、考えてみれば、その多くの作品には、「鬼退治」の要素が含まれている。進撃の巨人だって、エヴァンゲリオンだって、「巨人」や「使徒」という「鬼」がいるからこそ、登場人物たちは、その身を粉にして戦っているのだ。(なんてわかったようなことを言っているが、進撃の巨人もエヴァンゲリオンのことも、あまり知らない私なのである…)
 アニメだけではなく、ありとあらゆる物語の中に「鬼退治」の要素がある。改めて言うほどのことでもないかもしれないが、面白いものだなぁ、と思ってしまった。

 そんな話を夫にしたら、

「まぁ、考えようによっては忠臣蔵も鬼退治だねぇ」

 と言っていた。
 確かに、大石内蔵助を中心とした赤穂浪士が、吉良上野介という鬼に立ち向かっていくと考えるなら、忠臣蔵も鬼退治と言えるのかもしれない。しかし、吉良上野介は物語で描かれているような意地悪な人ではなかったという説もあるので、「鬼」などと言ってしまうのは少々気の毒にも思う。

 鬼退治のように、敵と戦うことを軸に置いた作品には、それが勧善懲悪でなかったとしても、多くの人を夢中にさせる引力がある。戦いというものには、必ずと言っていいほど、死の匂いがつきまとう。死を感じるとき、人は、反対側にある生というものを強く意識するものだ。それゆえに、戦いの物語の中で生まれる苦しみや葛藤は、強いエネルギーを放ち、見る者を圧倒する力となるのだと思う。
 これからもきっと、時代によって様々な形の鬼退治が生まれ、それを人々は楽しむことになるのだろう。

 そんなことを一人頷きながら考えていて、私は大事なことを思い出した。
 結局私は、友人の「お・に・た・い・じ」の5文字に圧倒され、鬼滅の刃のことを、ほとんど聞き出すことができなかったのだ。私は今年も、鬼滅の刃がどういった作品か詳しく知ることなく、新しい年を迎えることになりそうだ。


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