カロリーを消費したい

 運動しろ、の一言で終わってしまう話である。
 しかし、運動を習慣化させるというのは一筋縄ではいかない。時間が10分20分あるのなら、他にしたいことが山ほどある。別段、好きでも何でもない運動に、私は時間を使いたくなんかないのだ。

 しかし、それなのに私は食い意地が張っている。できることなら常に何か食べていたい。手を伸ばすところに食べ物があって、それを頬張りながら暮らしたいとすら思っている。だが、そんなことをしようものなら、私の面積はどんどん広がり、地球を圧迫しかねないので、泣く泣く控えているのだ。

 全ての食べ物が緑黄色野菜並みにヘルシーで低カロリーなら、私もそんなことを気に病むことなく、健やかに過ごせるのに、なぜ私の大好きな食べ物は、軒並み高カロリーなのだろうか。もしこの世の食べ物のすべてが低カロリーならば、私は毎日、冷凍の今川焼カスタードを食べるだろうし、どら焼きや、チョコレートのストックを切らすことはないだろう。

 そんなジレンマを抱えながら、私は今、家計簿をつけている。私にとって家計簿をつけることは、運動と同じくらいの苦行だ。私は数字が大の苦手。それなのに一つのレシートを、食費、酒代、日用品などに分けて計算しなくてはならない。6と0を見間違い、5を6と思い込み、計算が合わないことなど日常茶飯事である。
 しかも、その日のレシートの金額は7000円! 調味料や鶏もも肉を1キロ、酒、その他日用品を買ったせいで、なかなかの金額になった。この消費は浪費か否か。そんなことを考えながらレシートを眺めていると、だんだんと息苦しくなってくる。私は過剰に罪悪感を抱きやすい性質なので、自分がいなければ、このお金は使わずに済んだのではないか、などと考えてしまうのだ。

 私は思う。
 この7000という数字に当てられる単位が、円ではなく、カロリーだったらどんなにいいだろう。もし消費したのが7000円ではなく、7000キロカロリーだったとしたら、3日間、私はカロリーを気にせず、好きなものを何でも食べることができるだろう。考えただけで口元が緩み、生唾が出てくる。

 今は、スマホで何でもリンクして、電気をつけたりエアコンを消したりできる時代だ。これほど、いろいろなものがつながるのなら、お金の消費と、カロリーの消費も連動してはくれないだろうか。1000円消費したら、1000カロリー消費するシステムができれば、お金を消費することへの罪悪感が減る。いや、むしろ消費が喜びとなるだろう。皆がお金を使うようになり、消費の落ち込みが無くなることで、景気も良くなるのではないだろうか。

 そんなことを考えながらレシートとにらめっこをしていたら、おなかがすいてきた。もう家計簿なんてつけていたくない。既に脳みそは疲労困憊である。甘いものが食べたい。こうして電卓を叩いているだけで、1000キロカロリーは消費したような錯覚に陥ってしまう。
 これが錯覚ではなく、本当に1000キロカロリー消費していたならば、どんなにいいだろう…。

 こうして私のカロリー消費への思いは、ぐるぐると巡りつづけていくのである。





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