備えあればなんとやら

なんだか地震が気になって目覚めた。東京、大丈夫なんだろうかと思って。寝ぼけ眼で地震予知や予言がないかとネット検索した次の日。

残業帰りの電車が突然止まった。周りから、東北で地震だってとささやく声が聞こえた。
あわててケータイをチェックして震度の大きさに焦った私は、その場で実家に電話をかけた。

両親は地震で飛び起きたらしい。父はまだ酒が抜けていないせいか、少しハイになっていた。家中のものが落ちて散乱してるとはいうものの、親の無事を確認して安堵した。

でも、あの起きがけの感覚はなんだったんだろう。

2011年の3月9日、私はとある事情で、ある人物と会議室にいた。その人は予言が当たるとかで、スピリチュアル界では知る人ぞ知る的な人物だった。

その日、地震があって、私たちのいた会議室も揺れた。

その時、その人は言ったのだ。

「1週間以内にこの余震が来るよ」

その2日後、東日本大震災が起こった。

その人が示唆したような、軽い余震なんてレベルではなかった。

すごい力があるというその人にだって、2日後に起こるその出来事の大きさが確実に見えていたわけじゃなかったんだろうと思う。

未来は不確定だ。実のところ何が起こるかなんて、誰にもわからない。

だからこそ知りたいと思ってしまうのだけれど。

地震がきたら机の下に隠れろと子どもの頃から教えられてきた。

あの日、当時のオフィスもグラグラと激しく揺れた。

恐怖に襲われながら、身を守らねばと自分の机の下を見ると、すでに私の場所を占領していた同僚と目があった。

「シックス・センス」のワンシーンかよ、みたいな。

別な意味でホラー。

予測しない事態にうろたえた。

本当に何が起きるかわからない。

わからないからこそ、できる備えはしておこうと思う。

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