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私が働いていた24年ほど前のススキノでのお話です。 この物語は事実を元にしたフィクションですが、登場する人物・団体などは実在のものといっさい関係ありません。 尚、コメント等い… もっと読む
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小さな風が大きな台風になるとき

その日、出勤した日、部長から「何か策はあるのか?」と尋ねられ

「任せてください!」

と答えた。

その日のオープン後少ししてからギルガメッシュナイトの撮影班がお越しになった。

6人だったか8人だったかの女の子がソファーに座って、インタビューを受ける形。

最後に全員がやることになっていたギルガメッシュナイト式「Tバックでお別れ」は手前から順番に1人1人がすることになっていたので、
私は最後の

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入店4か月目

この頃には派手なショータイムの効果が出て、私はすでにNo3になっていた。

それに伴い、入店当初、1回転半しか回っていなかった下から数えるほうが早い店がトップ店へと昇り詰めていった。

まさに怒涛の快進撃!!

季節は夏。

夏のボーナスや札幌競馬の開催などなどの追い風を受け、オープン1時間ですでに満卓になるほど人気があるお店になっていた。

またそれに伴い「フォーレの瑞城」はススキノ中で認知され

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温かく見守ってくれた存在



ある日、以前からご指名してくださっていた

酒井様と共にご来店したのは、とあるプロスポーツ選手の大さん。

大さんは大きな体で力も強く、

初めて会った日、私は思わず「担いで~」と頼んでみた。

彼はにっこり微笑んで、俵のように軽々と、

私を自分の肩に軽々担いでみせた。

実は、私の従兄の博も彼と同じ世界で活躍していたため、

従兄を知っているかな?と思い、

従兄の事を話したら、

「あぁ

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ぼんちゃんと私の仁義なき「グンゼのパンツとシャツ抗争」

某大手企業の新入社員だったぼんちゃんは、

日本最高峰の大学を現役で卒業したとは思えないくらい

なかなかぶっ飛んでるサラリーマンだった。

22歳の彼は、私の父世代が当時よく愛用していた

グンゼのパンツとグンゼのシャツを下着として着用していた。

22歳とは思えないくらいの中年顔の彼に、それは妙にマッチしていて、

その格好は、まるで2人位子供を抱えてる中年のお父さんのようだった。

22歳だ

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グループ店ケントゥリア21へ潜入

入店して、3か月経ち、

夏も近づいてきた頃には、店にも活気に勢いが付き始め、

当初お客さんが満卓にすらならず、1回転半程度しか回らなかった店も

この頃には早い時間から満卓になり始め、1日2回転以上し始めるようになった。

その頃には、飛ぶ鳥を落とす勢いで売り上げを下から伸ばし始めた、

フォーレを快く思っていないグループ店もいくつかあった。

それは、同じような大箱で、元々はフォーレなんぞ、

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頼れる上司

フォーレには、グループの常務を筆頭に、
冬馬部長、古村部長、店長、主任、ボーイ達などなど、
多くの男子従業員が存在した。

=常務=

彼はグループ全体の常務である。

年齢は50あたりだろうか。

痩せ型でよく笑う目のぱっちりした優しい紳士のような人だった。

店の中の「お父さん」という感じで、締めるところは締めるが、

おおらかで優しい人だったと記憶している。

どんな時も、応援して、守ってく

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とにかく厚くて丈夫な 高岡ストッキング

グループ内のキャバクラで、必須アイテムとなっていた「高岡ストッキング」

これが普通のストッキングとは、比べ物にならないくらい厚手だった。

今で言えば・・・

80デニール程度の肌色の、

何とも丈夫なレギンスに相当するレベルの厚さだが、

なかなかの強度で、手で破こうものなら、

手が怪我をするというすごい商品だった。

見た目は、中に光る素材が入っているらしく、何やらテカテカ光っていて、

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サンバイザー

店のミーティングでよく言われていたのが

「個性を出しなさい」

まぁ・・・キャストが総勢150人弱・・・。

個性を出さなければ
数に埋もれてしまうゆえの言葉だったと思うのだが・・・。

私はこの店のいう「個性を出す」を逆手に

待機時の上手な居眠り方法を開発する。

私はご飯を食べると、とにかく眠くなるため

眠くなればところかまわず寝てしまう習性がある。

クラブ時代もそれは同じ。

どの店

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裸の王様

ある日の事、店も混み混みで店内がもわっと暑かったので、

おパンツ一丁で営業していた。

そんな折も折、とあるお客さんたちがご来店した。

年齢は40~50代

当時の私からすれば、おじ様軍団。

その1人を接客することとなる。

席について否や、お客さんが言った。

「え?服どうしたの?」

と。

そりゃそうだ・・・。

キャバクラに来て、隣に着いた子が

おパンツ一丁で席に着いたら驚くに決ま

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同伴禁止令

たぶん水商売をしていて、
こんな禁止令を出された子なんて
絶滅危惧種より少ないと思うが、
当時の私には、世にも珍しい同伴禁止令が出ていた。

どこの店でも強制同伴日があるように
当時のO-Lにも当然のごとく月1回あったのだが、
禁止令が発令されたきっかけはこうだ・・・。

元々クラブ時代から同伴はあまり好きではなかったので
ほとんどしたことがなかった。

そのため、入店当初も同伴に対しては、
あま

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飲めと言われて飲まずに済む方法

今や、飲めない人にお酒を勧めたり、無理に飲めと言えば、
あれこれ叩かれる、飲めない人には幸せな時代だが
24年前はそんなわけにもいかず、
お客さんに「飲め」と言われれば
飲まざる得ないところがあった。

クラブでは売上自体が給料に関係してくるので、
飲むことも仕事、ボトル入れることも仕事のうちだった。

だが、このキャバは飲み放題のため、
飲んだからと言って売り上げになるということもなかった。

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トップレスショーのほかにもう1つあった物がライブ

札幌というかススキノという街は風俗やら飲食店で有名な歓楽街だが、もう1つ有名ものがある。

それは音楽。

ススキノには昔から多くの生バンドが入っているお店が多かった。ライブイン20世紀(現在のナイトイン21世紀)、ライブハウスKENTO’Sに始まり
小さなライブパブのようなものやショーパブはいくつもあった。

さらに結構実力のあるバンドなどは、生バンドのショーをショータイムに取り入れている店に契

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侮れない野生の勘

私のキャバ時代と馬は、非常に密接に関係している。

私がいたキャバの母体である松岡実業は

社長が馬主だったこともあり、多くの関係者が遊びに来ていた。

ある日のこと、舎内ファームの厩務員さんたち6名くらいの方が

お客さんとして遊びに来たことがある。

時は1993年4月。

その日は、春の天皇賞の前。

彼らは私に競馬新聞を見せ、こういった。

「今回、マチカネが調子いいと思うから、きっと勝つ

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営業電話は向いてない

開店後、
エレベーターホールでのエスコート係をしていないキャスト達はここからが営業電話タイムに入る。

一応店からしなさいと言われるのでやっていたが・・・。

実は、私はこの営業電話が何より苦手だ。

なぜか?

そもそも私の中では、
お客さんというのは、楽しいから来る、来たいから来るという発想なので、正直電話はしたくない。

だって、お客さんがどう思ってるか?どのような状況か?
電話の向こうの私

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