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【適応障害体験記④】休職が決まった時家族の反応

適応障害の診断書をもらって、私が最初に連絡を入れたのは会社の上司ではなく、母でした。


ラインで、一言だけ。「休職することになった」と。


母は私の休職に反対していました。体の異変についても、「すぐ治る」「心配しなくていい」、だんだんひどくなり仕事にならなくなってきたと伝えても「薬飲みながらでも仕事はできるんじゃない?」と言われていました。


だから、母の反応が怖かった。なんて言われるだろう。失望されてしまうのだろうか。


母からのラインの返信を待ちながら、不安な気持ちをを安定させるために仲の良い妹に電話をかけました。

妹は、「人生で思いっきり何もない時間を過ごせる期間って、大人になった今、これ以降多分一生来ないよ。後ろめたく思わないで楽しむくらいでいいんじゃない?」と言ってくれました。この言葉には本当にホッとさせられました。


そのまま妹と話しながら病院から家までの道のりを歩いていると、ラインの通知音がなりました。母からの返信です。


「そっか。良かったね。しばらく休めるね。手続きできる?」


意外な返信でした。


その数日後、実家に戻ることになり、実家の最寄り駅まで母に車で迎えにきてもらいました。

申し訳なくて、情けなくて、母の顔を直視できなくて助手席ではなく後部座席にわざと座ったのを覚えています。


しばらく話すことができなかったのですが、母が口を開きました。「ママね、」

母曰く、母は私にすごく期待をかけてくれていたそうです。母が若い頃にやってみたいと思っていたような仕事を私がしていた、というのもあり、私を見ていると単純に「ワクワク」したそうです。

母にとって私の仕事は「最高に羨ましい仕事」だったそうです。だからその仕事をなんとしてでも私にやらせたかった。つまずいて、私が「最高の仕事」を手放すことになってしまうのは、可哀想だと思っていた。だから、私が仕事につまずいていることをなかなか受け入れられなかった、と言っていました。

けれど私の休職が決まって母は考え直したそうです。「●●(私の名前)の人生は、●●のものだよね。●●はもう大人だから、●●の好きなようにするのが一番いいって思ったんだよ」と言っていました。

そのあと「この期間(休職の期間)はきっと意味がある時間になる。今はゆっくり休もう」と言ってもらい、すごく気持ちが楽になりました。




「適応障害になってしまう」ということ自体はあまり珍しいことではないのかもしれません。ですが私の家族にとっては初体験のことで、色々心配をかけたり悩ませたりしてしまいました。ですがそんな私に向き合って、真剣に考えてくれた家族には本当に感謝しています。そんな家族がいたからこそ、私は今ゆっくりと休めているのだと思います。本当に心から、ありがとうと伝えたいです。


そんな家族がいることは当たり前のことではないと思います。きっと心に不調を感じながらも、一人でいるしかない、理解してもらえる人がいなくて苦しんでいる人が今もいるのかなと思います。

私はなんの知識もなく、無責任なことは言えないのですが、もしそんな方がいらっしゃったら、病院の先生や専門家の方など、しっかりと理解をしてくれそうな人を選んだ上で、その人たちに頼ってみて欲しいと思います。

誰にも話さなかったり、逆に理解をしてくれない人に話して否定されたりするともっと心が傷ついてしまうと思うので、とにかく自分の心を守って欲しいと思います。


今回のnoteは以上です。読んでいただきありがとうございました。






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