"SIGNS FOR [ ]"について
前回の記事からすっかり間が空いてしまったが今回は自分の利便性の為だけに、久しぶりにノートを書いてみようと思う。
昨年度発表した"SIGNS FOR [ ]" という一連の作品で、UNKNOWN ASIA 2018というアートコンペでグランプリを頂いてから、有難くも自分がどういう作品を作っているかを説明する機会が増えた。
しかし如何せん口頭で説明すると、どうしても長くなってしまうのである。
「そんな時いつでもサッと読んでもらえるように、"SIGNS FOR [ ]" の概要を紹介した記事があったらいいのにな」という訳で、今回はそんな便利な記事を自分で書いておこうという訳だ。
興味がある方は是非ご高覧ください。
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・どんな作品なのか
本作はアクリル板に写真をUVプリントで直接印刷し、その上にネオンライトを設置した光る作品である。コンセントさえあれば、どこでも点灯できる仕様だ。
また使用しているネオンライトはLEDではなく、昔ながらのガラス管でできたものを作品のサイズに合わせて1点ずつネオン職人の方に設えてもらっている。
発光色は(写真では白く写ってしまうのだが)、肉眼で見ると眼が痛くならない落ち着いた青である。
ところで本作の被写体だが、見た通り「何も描かれていない空(カラ)
の看板と雲ひとつない青空」である。
これはデジタル上で余計なものを消したのではなく、晴れた日に偶然見つけた空看板を望遠レンズで撮影している。
(なので、ものによっては消される前に書かれていた文字が薄っすら読めるものもある。)
この一連の作品だが、制作の過程で初めて明確な「縛り」(簡単にいうと自分ルール)を定めて作ったものになる。
ちなみに今までも作品ごとに自分ルールのようなものはあったが非常に感覚的なことだったので、飽くまでも自分にしか分からないルールだったのだ。
下記の項目が今回の「縛り」である。
初めて制作過程に明確な「縛り」を設けることによって完成まで時間がかかってしまうが、作品に強度を持たせやすく(作品に意図せず付随してしまうノイズを初めから無くしておける...という感覚)、もしかしたら自分に向いているのかもしれないと思った。
・今作について考えていること
私は作品を制作し発表することを通して「意味がある/ない」「存在している/していない」「違う/同じ」といったような、一見すると両極端な事象の間にある広大なグレーゾーンに触れていたいと考えている。
また相反すると思われている事象が、ひとつのものの中に同時に、そして完璧に成立しているということを実感したいのだ。
これは今回だけではなく、前作や前前作から一貫している私のテーマである。
上記のことを踏まえた上で、本作"SIGNS FOR [ ]"のメインテーマは「意味があること/ないこと」の間のグレーゾーンであり、それらがひとつのものの中に同時に成立するということ...さらに遍く物事というものは「存在意義がある/ない」に全く関わらず「ただ存在しているから存在しているのだ」ということを再確認することである。
また一方で経済活動を離れた、一見無用そうなもの(所謂トマソン)の美しさに対する賛美でもある。
都会田舎分け隔てなく年々増え続ける空白の看板の美しさを愛でるように、縮小や減退の真っ只中にあっても細やかな楽しみや発見と共に伸びやかに暮らしていくぞ...という生まれてこの方、ずっと景気が悪い時代を生きている私の意思表明でもある。
奇しくもこのノートの1投稿目の伏線回収のようになってしまったが、そこには私が知らず知らずのうちに刷り込まれてきた「わびさび」の要素があることが否めないと思う。
・最後に
ところでこの作品を展示に出すたびに必ず「なぜネオンライトが青色なんですか?」と質問していただく機会がある。
最後にそのことに少しだけ触れて終わりたい。
私の地元(京都南部)の最寄駅に到達するまでの線路にある踏切には、夜になると青いライトがついている。
真っ暗な田んぼの中を通るその路線を遠くから眺めると、塗りつぶされた闇の中に青の光が一列に点々と灯っているのだった。
その理由は2013年に「駅に青いライトを設置すると自殺率が84%下がる」という論文が発表され、青いライトが一部の駅の構内や踏切に導入されたからだ。
それによるとどうやら、青い光には人の精神的な昂りを抑え、ニュートラルな状態に落ち着かせる効果があるというのである。
(しかし青い光によって本当に自殺率が84%も下がるのかということについては後日、その研究結果を問い直す懐疑的な論文も発表されている。)
その踏切の青い光を見ていると、私は日本の若年層における自殺率のことを思い出さずにはいられない。
何も描かれていない空白の看板は、存在意義の有無に一切囚われず、今この瞬間も我々の頭上に堂々と佇んでいる。
私はこの作品"SIGNS FOR [ ]"の前に立つ人が、もし周囲の物事や自身に対する存在意義(もしくは意味)を突き詰めようとするあまり息がしづらくなっているなのらば、青い光に照らされた空看板を眺めながら一旦それらのことを忘れ、ただ在るままにそこにいるニュートラルな状態に回帰して欲しいと願っている。