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日々ビュンビュン過ぎていく出来事に目印をつけておく。

4月の前半に台湾に行って帰ってきてから、GWにグループ展に参加した。その後、令和元年が始まって3日目に日本に遊びに来た香港人の友人(とはいえ会うのは2回目)に大阪案内をした。そしてその3日後、私は中国の深センである野外アートフェアの作品制作の為に現地に飛んで1週間滞在した。(↓のインスタはその時に制作した作品。)

文にして書くと、たったこれだけ。しかしこの間にあったことは、こってりドロドロの豚骨スープみたいに濃い。かき混ぜる箸が重いのなんの。なのに深センから帰国してから、また有り難いことにドンドン仕事の撮影が入って、さらさらーっと時間が流れなんともう6月の今に至る。

嗚呼、いつもこうなんだな。自分のキャパに対して起ったことの情報量が多すぎて結局振り返れず仕舞い。記憶のディテールは月日の波に削られて、角がどんどん丸くなっていく。もったいない、残念!

だから自分の為のメモがわりに、noteを始めてみることにする。文章がめちゃくちゃでも、時系列が前後して写真がテキトーでもやらないよりはいいかな的な。多少読みづらくても見逃してくれよという気持ちで見切り発車だ。宜しくどうぞ。

さて早速だけど、忘れられないカルチャーショックを含んだやりとりのメモから。

香港から来た友人に大阪を案内した5月前半のある日、私はその人に日本の茶の湯における「見立て」文化の話をした後、さらに「わびさび」の説明をしていた。

ただでさえ普段の日常で誰とも話し合わない「わびさび」のことを、英語で違う国の人に伝えようとするなんて非常に無謀であるが、話の流れでそうなっちゃったからには仕方ない。私はそりゃもう頑張って説明して...なんとなく伝わったかな...ぐらいの手応えを得た。

友人は「なるほど!」と頷いた後「でもそのわびさびは、(経済的に)成功した後の価値観なんだよね?」と言ったのだった。私はハッとした。

その後「違うよ〜、わびさびは経済的に成功してなくても、その気になれば誰でも持てる価値観なんだよ」と私は否定で答えたが、彼が言った「成功した後の価値観」というワードが忘れられないでいる。

一旦経済的(物質的)に満たされた人が、次のステップを目指す時に「禅」や「わびさび」を手がかりにする...という日本国外で最近あるらしい流れが実際に目の前の会話で突如発生し、急に実感として立ち現れたことがとても面白かったのだ。

それと同時にいかに自分の中に「見立て」や「わびさび」の美意識が刷り込まれているかということを驚きを伴って理解した。恐ろしくベタなことを言うが、自分が生まれ育った場所以外のところから来た人と交流すると、如何に自分の美意識が日本メイドなのか分かる今日この頃なのである。

その日、私は自分の作品"発光幻肢"は「見立て」の塊で、"SIGNS FOR [          ]"なんて「わびさび」そのものやん...などと思いながら帰路についたのだった。


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