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noteを書くことへの情熱は、どこへ行ったのだろう。



書けないnoteと、投稿しても読まれにくいnote

最近、京都巡りnoteが書けていない。下書きが進まないのだ。

進まない下書きの目次。嵐山へ紅葉巡りへ行った時のもの。
今は法輪寺まで書けた状態。


今の時期は仕事の繁忙期で、残業が多く休日出勤もある状態だ。家に帰ったら、疲れ果てて寝落ちすることもしばしば。しかも、冬だと私は朝早く起きられなくなる。書くためのまとまった時間を取れない日が続いている。

週間の連続投稿記録を繋ぎ止めるために、週の終わりの日曜日に内省noteを投稿するようにしている。自分の気持ちを書き連ねるのは楽しい。でも京都巡りnoteよりスキが付きにくい。そもそも記事が読まれにくい。もっと共感されたい。


「京都」は観光名所で、「京都はこんな場所だ」という共通認識を持ちやすい。それに写真も貼っているので読まれやすいのだろう。京都の街が好きな人も多い。京都は多くの人が共感を得やすいコンテンツだということだ。

対して、私自身の気持ちは私以外の人に伝わりにくいものである。気持ちの言語化能力が試される。

たまに「私の思っていた気持ち、この人が全部言葉にしてくれた!!」と感動を覚える時がある。私もその人みたいに、自分の気持ちを言語化する時に伝えられる人になりたい。


書くことへの思いと、環境の変化

私には使命感がある。私の苦しかった経験を文章にして、今悩んでいる人に「あなたは1人じゃない」と伝えたい思いを、私はずっと持ち続けていた。


以前、フリーランスのライターになりたいと思っていた時期があった。使命感に加えて書くことが得意だから、仕事に繋げられると私の人生はもっと生きやすくなるだろう、と信じて疑わなかった。

それに、今の仕事が自分に向いていなかったから逃げたい気持ちも重なって、フリーランス思考が強まっていた。


ところが異動したことにより、私は自分の向いている仕事を見つけることができた。今は仕事が楽しくて続けたいとすら思えている。今すぐフリーランスになる必要が無くなったのだ。

仕事への価値観が180度変わってしまった私。書くことへの情熱が冷めてしまったのだろうか……?


書くことへの情熱はどこへ

書く頻度が減ったかといえば、そうではない。昨年の1月とは違い、週1で投稿できている。昨年の1月は1記事しか投稿できなかった。自分に向いている仕事をするようになって、精神状態も良好だ。

冒頭の京都巡りnoteが書けない問題は、規則正しい生活と日々のスケジュール管理ができたら解消されそうではある。今はその計画を立てる時間さえ疲れて取れないから、まずは規則正しい生活を送ることが最優先だ。


内省noteがもっと読まれてスキがもらえるようになるには、どうしたらいいのだろう。反応を気にせず、気軽に内省noteを投稿し続けるべきか?日々の思ったことを書き溜めた下書きもたくさんある。

でも共感を増やしたいなら、少しでもクオリティを上げたい。そうなると、書くことへのハードルが上がってしまう……。


「書くことへの情熱はどこへ?」なんて書いておきながら、私は書くための計画を無意識で考えていた。そもそも内省を書き出すことを、自然にこなしている。情熱は冷めたのではなく、ひっそりと静かに燃え続けていた。


本当は文章の勉強や講座を受けたい気持ちもある。もっと読みやすい文章を書けるようになって、多くの人に共感されて、悩んでいる人の気持ちを少しでも軽くしたい。

けれど、私が今一番したいことは仕事だ。とにかく仕事を覚えて極めたい気持ちが強い。

いつかフリーランスのライターを再び夢見る時が来るかもしれないし、新たな別の夢を見つけるかもしれない。この先の私はどうなるか、自分でも分からない。それでも私は内省を続けている。書くことへの情熱が冷めることはきっと無いだろう。


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