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禁足38日目 なぜフランス人はマスクをつけないのか

久々に外に買い物に出たら、マスクをしている人が格段に増えている。先週のマクロンの演説の数日後、首相のフィリップが、外出禁止令の解除後は今後は公共交通機関の利用時はマスクの着用を義務化すると発表してからいよいよ、「マスクはつけた方がいいらしい」という認識が広まったようだ。それまでどういう認識だったかというと、病人以外はマスクをしても意味がない、というもので、WHOもそう言っているから、という根拠づけをしていた(外出禁止令が発出された頃)。それに対し、無症状の保菌者もいる、ということとどう折り合いをつけるのか、というツッコミがあったり、どのみち、マスクは数が足りないので医療関係者に譲るべきだ、と、市民マスク不要論を擁護する向きもあった。

じっさい、医療機関においてさえマスクが足りないのは大きな問題になっていて、一応先進国とされるフランスでこんなに足りないのは何かがおかしい、ということで、それもマクロンのネオリベ政策の皺寄せである、ということで叩かれたりした。どの薬局もマスクの在庫はないし、あったとしても処方箋がないと買えないことになっているので、道ゆく人の半分くらいがつけているマスクがどこからきているかは謎である。友人の一人は、パリの区役所で譲ってもらったと言っていた。10年以上前の備蓄品で使用期限は切れたものを配っていたそうだが、そんな情報はどこにも出ていないので皆それぞれの闇ルートがあるのだろう。

が、私が注目するのはむしろ、外出禁止令が出た時に、路上で検問する警察官に対してマスク着用禁止令が出たことである。むろん、感染リスクの高い業務なのにそんなお触れを出すのは理不尽に思われる。が、これはいかにもフランスらしい現象で、私見だけれど、10年前に発布された通称ブルカ法と関連しているのではないか。つまり、公共空間においては顔を覆ってはならない、とイスラム教信者の女性が身につけるブルカを公共空間では禁じる法律で、違反すると罰金も実刑も伴う。そして、その取り締まりは警察官が行うので、そんな警察官がマスクをしていては「示しがつかない」という判断だったのだろう。もっと言うと、この法律で禁止されているのはブルカの着用だけではなくて、女性に対してブルカの着用を強要すること、も含まれていて、それが「自由と平等という共和国の基本理念」に反するから、ということになっている。つまり、顔を覆わないことが、家父長制だったり宗教だったり理不尽な伝統だったりするような前近代的なしがらみから自由であることと結び付けられているのだ。

La République se vit à visage découvert.
フランス共和国では顔を覆ってはならない。

これはさっきの通称ブルカ法の一節だが、直訳すると「共和国は顔を覆わずに生きられる」となって、共和国を生きる主体は顔を覆ってはならない、という禁止のニュアンスよりも、顔を覆わない状態でこそ、という肯定形の表明になっている。普段から、どんなに花粉症がひどくてもマスクをしている人がほとんどいない、というか皆無、というかそもそもマスクが売っていない、ことの背景にはおそらくこのメンタリティがある。

この傾向はむろん、パリの2015年の銃撃テロでさらに強化されて、ブルカ法のポスターがあらゆる役所に貼ってあったりした。けれども、これは規制というよりも、自由の表明として捉えられているはずで、現状においてマスクを着けざるをえない状況、という方がむしろ、自由の侵害としてフランス人は捉えているのだと思う。

と、ここまで書いたら、ル・モンドが同じようなことを言っているらしいと教えてもらった。フランスでマスク着用が義務化されたらそれは革命である、と、そんな大ゲサなと思うような見出しだけれど、多分フランス人たちの頭の中では今それくらいの葛藤が起きているはず。




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