私は何を学んだかー4話

手術を断り続けて死んだサボテンの好きだった男性

このような死を選ぶ人を見たことがない。だいぶ前であるが私が行っていたアルバイト先の病院に合計私のところに10年以上通ってくれた60歳代の男性がいた。
彼は重い弁膜症を患っており、私は手術すると呼吸が楽になるし長生きするのよと何回も手術を勧めた。しかし彼は全く聞く耳を持たなかった。「そうかい、でもこのまま先生のところに通うのが良いや」と言うのみだった。
歳と共に心臓と肺の機能が悪くなっていくのがわかった。まともに歩けなくなっていくのだが、私が行くときには必ず診察に来てくれた。
診察の日に時々自分で作った実生の盆栽を持ってきてくれた。私が持って帰るのに困らない10センチ立方くらいの小さいものだった。いろいろな盆栽をもらってバックに入れて家に持ち帰ったが、残念ながらしっかりと育つことなく全部ダメになった。実生のものは難しい。
また時には小さなおもちゃのようなものを持ってきてくれた。町工場を経営していて楽しく仕事をしているようだった。病院にやってきて私と会うのが楽しそうだったが、病気で苦しいとは自分から一切話さなかった。その後、だんだん息苦しくなってきていったが何とか持ちこたえてくれていた。5~6年も診ていたその間の雑談は本当に楽しかった。手術の話はいくらしても受け付けなかった。その後2年ぐらい私が病院にいかない時があって再開した時はベッドに横たわっていて口を開くことはなく話はできなかった。それでも2~3ヶ月は生きていたが、意識が次第になくなって死亡した。何と言う事だ。このような人を見たことがない。自分が生きていてはいけない何かがあったのだ。戦争で人を何人も殺したのかもしれない。そうでなければ私には理解できない。


ニコチンによる自死  

この女性はいつか自分が死ぬときのためにニコチンの濃縮した小さな丸い缶を持っていた。ある朝、亡くなったおばあちゃんの知り合いの女性の様子がおかしいから来てくださいと電話があった。私はすぐに駆けつけた。部屋に入るとすでにその女性は死んでいた。いつものようにきちっと和服を着て横たわっていた。ニコチンの臭いが部屋中に満ちていた。転がった小さな平たい缶にニコチンが残っていた。ニコチンをできるだけ飲んで自殺した事は明らかだった。死に顔にさして苦しそうな様子はなかった。
この女性には身寄りがなく住む家もお金もなかったのであろう。友人が一緒に暮らそうと誘ってくれたので同居していると以前言っていた。戦争中女性は敵の兵士から卑しめを受けられそうになった時にニコチンで自死するようどこからか渡されていた。その女性は40年以上にわたってそれを持ち続けていた。
それから時々、私のところに診察しに来ていた。ふっくらとした上品な女性でいつも大島紬を着ていた。女性の自死する1ヵ月ほど前にその親切な女性は肺がんで死んだ。その家には娘がいたが、日中は働いているので自殺した老女との接点は非常に少なかった。
友人が死んだ後、その家に居続けるのが辛かったが行くところがなかった。戦争で家族も何もかも失ったのだろう。亡くなった友人の家にいられない気持ちは充分すぎるほどわかった。日曜など休日の日はその娘もいることだろうし顔を見せる機会もあったに違いない。が住む家の娘は仕方がないからおいてあげたようで顔見ないようにして出ていくのを持っていた言い方だった。食事はコンビニエンスストアに行けば何らかのものを買えた。もう時効だから書くが、家族がすぐに私に死亡原因の変更を頼んできた。自殺したとわかったら警察が入ったりして近所の手前みっともないので何とかしてくれと頼み込まれた。思いもよらぬ事だったが、大げさにならないのが皆の幸せと思って死亡原因を脳卒中と書いたと思う。
法律的には問題となるが法律は皆が幸せになるために作られたものだ。直接に交流のない母親の友達、お金をそれほど持っていない老女にしばらく軒をかし置した。私がそれぐらいのことをしたとしても誰も問題にはならないであろう。自分が身を寄せた友人が先に死ぬ考えもしなかっただろう死ぬことによってそれから解放された。
四角四面に物事を見るのは好きでないが、その場に応じた判断も許されるものがあると確信をしていた。その後、何か起こったとは聞いていない。


心臓移植以外助けることのできない患者

 私と同じ年代の男性が心臓の検査のため入院した。見た目には病気だとは
言えないが、口を開いたら死んでしまうのではないかと思えるくらい不安そうだった。
 静岡で家族でみかん農園をやっていた。仕事中に何回か畑で意識を失っていたので、自分は重大な病気になっているのではないかと思っていた。
 彼の心電図は全く奇妙だった。見たこともない波形をしており専門的に言えば刺激伝導系が機能していないのだ。
 医者は患者の不安を煽るような態度をしてはいけない。どんな時でも静かに泰然と接しなければならない。
 現在は患者の余命を告げるようになった。あと何日ぐらい持つかと家族にも本人にも覚悟させる。この場合は短く言うのが鉄則でそれより長く生きれば治療のおかげとなる。家族はあとどのくらい持つでしょうかと聞いてくることがある。患者本人には残酷すぎて言えないこともある。あくまでも理想だが患者自身が死のことを自然とわかっていくのが良いと思っている。癌の患者では覚悟がだんだんできてくるので医者として楽である
 患者の家族の誰かに死ぬことを含め告げなければならない場合がある。その相手には男性が選ばれる。男性の方が客観的にものを見るとされており、女性は主観的な見方をする人が多い。また、すぐに泣いてしまうので告げる人は男性になってしまう。
 男性の母親に突然死があり得ることを告げた。母親は息子がすでに何回か倒れたこともあったので予想していたと思う。彼の病気は心臓移植でしか助けることができない。その患者を受け持った頃は心臓移植が世界でも希な頃だったが、今でも日本では心臓移植はほとんど行われていない。男性には幸い自覚症状はなかったが、いつ突然死するかと不安に耐えていたようだ。
 男性は退院後、何回かの外来通院で4ヶ月ほど生きていた。
外来担当医が彼に運動負荷試験をした。なんでそんなと言うことを!そしてその場で死んでしまった。その医者は馬鹿だ。 何の目的でやったのか知らないが病歴を詳細に見ていなかったに違いない。
 その外来担当医はどれくらい動くことが出来るのか知りたかったのだろうか。また、死ぬとは思わなかったのであろう。医者は皆、男性が近い将来死がやってくることがわかっていた。病理解剖もしないまま朝来た道を棺に乗って帰っていった。
何十年たっても彼の不安な表情がよぎる。私は生きている。彼は死んだ。病気の原因は心臓の筋肉にあるが医学が進んでわかることはDNAのアミノ酸配列が狂っていたのだ。そういう時に思うことは生きているのはひとつの奇跡だと言うことだ。健康診断などをしていてほとんど健康に問題がない。病気の人なんか本当に少ないのだ。だから人類はふえて続けている。
 彼のような人間は生まれる前に流産という形で消滅していく。生まれて良かったのか読者はどう思うだろう。


平穏な死への移行

自分が死ぬ過程の1秒1秒を意識していた人がいた。重症の心臓病でICUに入院してきた高齢の女性であった。肺に水が溜まって溺れた状態まだ本人の意識があったのでひどく苦しんだ。麻薬も使ったが苦しみをとることができなかった。苦しみと不安が混在し「苦しい!死んじゃう!」と叫び続けている。心拍出量を出すために心臓マッサージを続けてくれている医者いる。心電図上拍出の出そうな脈に持って行って良いと思った時直流電気除細動を行う。いろいろな蘇生を試みた。結局女性は力つきて死んでいった。心臓本体の破壊が広く助けようがなかったのだ。
そこにいた医者全員は受持ちを除いて無言でその場を去った。私のいた教室では医者は死に瀕した患者がいるとそこに集まってなんとかしようと試みる。急性心筋梗塞などで救急時では運ばれてきた疾患で心不全になったときの典型的な例だ。わずかな延命の機会を期待しないで苦しみを取るためにもっと麻薬を使うべきだったか?麻薬を使う事は命を縮めることと相反しないが多いと呼吸停止になる。呼吸停止になったそのような患者に人工呼吸器をつけるかどうか。

私はその死に方に死に方の理想を見つけられたらと思う。死ぬ事は仕方ないとしてもあの苦しみは厭だ。生から死への安らかな移行が受けられるようにならなければならない。今も同じだが患者さんの苦しみを取り除くため麻薬を使ってよい場合にも使わない医者はいる。麻薬を適切に使ってくれないところに入院すると死ぬ時の苦しみがひどくなる。大病院だってそういうことがある。日本の医学教育では麻薬の使い方や死に方の教育がなされていない。日本人は死ぬと言う言葉が嫌いなのだ。
死への治療の検討が 欲しい。麻薬、ステロイド、水分の与え方は個々によって違いはあるが治療方針くらいあって欲しい。
この例ではないが脳の破壊性病変ではその場所と広がりなどに点数をつけ治療の継続をさせるか断念させるか客観的な指標を作り医者の個人的判断の偏りを避ける標準治療があるべきである。それによって死へ至る過程を治療する側の個人的能力の偏作を避けるようにすべきである。
生から死への安らかな移行がなされれば死ぬのが怖いと言う人は少なくなっていくのではないか。死ぬのが怖いと言う人の多くはその時の苦しみを想像するからである。死ぬ場合ばかりでない。例えば呼吸困難には麻薬をどのように使うか、ステロイドをどのように投与、いつ頃から投与するのか、カロリーや水分をどのように減らすのかと医学教育でなされて欲しい。それがあれば医療者側も患者側も助かる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?