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プリン・ア・ラ・モードに会いにゆく~出会い編~

~出会い編~


プリン・ア・ラ・モードが好きだ。

幼い頃、連れて行ってもらった小さなデパートの最上階にあったレストラン。バスが一日5本しか無いような山奥の田舎で育った私にとって、ごくたまに両親と買い物に出かける小さな町のデパートでの食事は、それはそれは魅力的なお楽しみイベントだった。

食事時に頼むのはいつもお子様ランチ。でもたまに、母親と二人だけの時は昼食は家で済ませて午後から出かけ、夕方の帰りのバスまでの待ち時間をそのレストランで過ごすこともあった。何せ田舎町なので、当時は駅前ですら子供を連れて入れる場所は、そこくらいしかなかったのである。ガラス張りのサンプルケースの中でひときわ魅力的に輝いていたパフェやプリン・ア・ラ・モードなどのデザートたち。食べたいとねだっても大抵却下されたものだ。
「そんなに食べられないでしょ」
「帰ったらご飯だから」
そしていつも、クリームソーダかウエハースが添えられたアイスクリームに落ち着いた。それでも小学生になってからだった記憶がある。当時、お腹を壊しやすかった私を母が気遣ってのことだったのだろう。

姉と二人で食べるなら良いという理由で何回かチョコレートパフェにはありつけた記憶もある。パフェももちろんおいしいし嬉しかったけど、やはり私の心はあの横に長いお皿の上に鎮座した黄色いプリンとアイス、色とりどりのフルーツに惹きつけられていた。

いつか、もう少し大きくなってお腹も丈夫になったら。
あのプリン・ア・ラ・モードを一人で食べるんだ!
幼い私は、ずっとそう憧れ夢見ていたのである。

時は流れて大人になり、それこそお腹も違う意味で(主に体積が)ずいぶんと丈夫になった今。ふと気づいてみれば、プリン・ア・ラ・モードそのものを飲食店で見かけなくなった。ファミレスでさえ、パフェはあるけどプリン・ア・ラ・モードがない。レトロな喫茶店が好きになり、あちこち行くようになったのだが、そういったお店でもいまやあの横に長いお皿に盛られたスタイルのものは無い。絶滅寸前なのだ!これはいけない!!

そして私は、街のあちこちにひっそりと今も生き続けているプリン・ア・ラ・モードたちに会いにゆくことにした。
彼らが居なくなってしまう前に、一つでも多く出会いたい。食べておきたい。そして記録に残しておきたい。

プリン・ア・ラ・モード巡りのはじまりはじまり。

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