第23話 友人として長い付き合いの中で
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中ちゃんとの長い友人期間の話をしておこうと思います。
中ちゃんの卒業式の日に、3階で会いました。制服のボタンは全て、袖のまで無くなっていました。モテモテです。
卒業式後の事は話していませんが、大学に行ける学力は十分ある人ですが、通い続ける気力が無さそうです。高等部も普通校ではなく、養護学校高等部を選んだ彼ですし。深くは問いません。
私はその頃は、名古屋の大原簿記専門学校へ通っていまして、ある年末近くです。専門学校へ中ちゃんが車で来ました。相談事があると。
断る理由などなく、そのまま私の自宅へ。
年末年始を私の部屋で3日ほど過ごしたと思います。
高等部1年生の時に彼の母親は再婚し、新しい父親と、そこそこ上手くやれてるようでした。何か癒されない事を抱えていました。
長く話を聞いて、吐き出させる事に専念しました。
中ちゃんには、周りに泊めてくれる女の子が数人いました。心の休憩場所を作っていたんですね。
一人暮らしすることを考えてはいないようでした。
心身症の人が一人暮らしは危険かもしれませんね。落ち込みやすいですから。本当は養護学校のような暖かい所が必要で、沢山の人に見守られるのが大切なのです。
一緒にいた3日ほど時、お互いに19歳でした。彼は12月生まれ、私は1月生まれです。
12月31日の24時に、中ちゃんと私の恒例行事である墓参りと、神社参拝と、お寺へ懐中電灯を持って、テクテクと行きました。
なんとなしに、話の流れで私は初体験は中ちゃんがいいから、お願いしました。友人なのですが、彼なら了解してくれると思って。
もちろん、その頃の私には体に管が3本あります。でも、受け入れてくれました。
「動かすと痛いよ。」
と言ってくれて、優しくしてくれました。
あ、Bもあった(笑)
その後の彼とは、年に1度か2度電話連絡が酔ったまま来る事がありました。電話は日が昇るまで。風の噂で結婚したとの話は聞いていました。
1度、あまりに連絡がなく、心配になり私から電話してみると、離婚して酒に溺れ酷い状態でした。
中ちゃんは私の連絡先を、どれだけ電話を変更しても、残しておいてくれていた事は、とても良かったです。どんどん友人連絡先を消す人でしたから。損得無しに大切な人と奥底で思えていたのかも互いに。
酒に溺れ救急車で運ばれた事が2、3度あったらしく、自分が一人暮らし出来ていたら、いくらでも泊めるのにな。。と思いながら、長く聞くことに専念しました。
そのうち、本当に一人暮らし出来てないことを嘆くことになります。それは、また次に話します。
中ちゃんがいてくれてなかったら、私の心の黒い塊はもっと大きくなっていたかも。
互いにこんこんと話を聞き合う人に出会えて良かったね。
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