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養子に見える、養子に見えない問題

2023年7月に特別養子縁組でラオスより1歳の息子・一生を迎え、前後して6月に実子・二葉を出産。フランス人のパートナーと、家族4人でパリ在住です。

養子で迎えた息子の一生は、ラオスで生まれた。ラオスは50を超える少数民族から成り立っているらしく、彼の正確な民族はよくわからない。ただ、ぱっと見、日本人として通る、ような気がする。少なくとも、完全に父親似の肌をした実子の二葉よりは日本人みたいだ、と個人的には思う。

すると面白いことが起きる。

保育園ですれ違うお母さん方、街中で言葉を交わした人、日本人のシッターさん、みんな私と一生を見て、彼が養子だと思い至らないみたいなのだ。一生と二葉の年を訊かれて、11か月差だと答えると、私が年子を出産したかのようなリアクションをする。

その途端に、私はいつも「自然な親子に見えるんだ!」というちょっと嬉しい気持ちが半分、そして養子であることを隠しているような複雑な気持ちが半分。

それで、大抵は「一生は養子だけどね」と付け加えて、必要な一言だったのか、あとで考えることになる。養子であることが、重要事項である、と自ら証明しているような気になるのだ。

白人であるパートナーが、一生を連れていると話は違う。彼は街ですれ違う人の視線を感じると言う。私と二葉がそばにいれば、何かを納得したような顔して通り過ぎる。そういう視線に関しては、「別にどうでもいい」らしいし、私もそれは同感だ。

養子縁組を検討し始めた当初、私ともパートナーとも違うエスニシティの子、例えば、黒人ならば、「説明の手間が省ける」とさえ、思っていた。かなり極端だし、それは自分本位で、あまりこどもの立場に立った目線ではないな、と思い返した。それは例えば、事実として、私とパートナーの親しい友人をざっと見渡した時に、偶然か必然か、黒人はいなくて、白人フランス人、日本人が圧倒的に多い。そういうコミュニティの中で、仮に黒人の子であったら、自分だけが異質だと感じずにいられるだろうかという疑問が拭えなかったのだ。

フランスで養子縁組を希望する夫婦には、日々そういう他人の視線に煩わされるのが嫌だから、同じエスニシティしか希望しない人もいる。白人同士の夫婦なら、白人の子だけ希望するということで、それもありだと思う。

私たちが、ソーシャルワーカーからラオスの国際養子縁組の話を勧められたことと、私がアジア系であることは無関係でないだろう。

パートナーと一生がふたりだけでいた時に、見知らぬ人が一生に向かって「オマエは貰われっ子か」的なことを言ったらしい。温厚なパートナーが怒っていた。これからもそういうことはあるだろう。

でも、こういうことに腹を立てたり、養子だと言う・言わないで逡巡することも、今だけなんじゃないかという予感がある。確信ではないけれど。

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