46にもなって自我と闘うことになるとは…

3月末で46歳になった。

会社員の夫がいて、子どもが二人。老眼がゆっくりと進んでいて、筋肉と関節の柔軟性は(認めたくないが)年々失われている。

大人にになると(または40超えると)みんな思うのかしら、「子どものころに思い描いていたのとちがうじゃん」と。
こんな『大人』になると思っていなかった。

いや、見た目はまぎれもなく「大人」だ。
でも誰だって思うだろう。「しっかりした大人」なら、夜中にベッドを抜け出して、ペンダントライトだけの薄暗い部屋で、メガネを取りに行くのも面倒だからって目を細め眉間にしわを寄せながら、こんな文章は書かないはず。

でも私は、気づいてしまった。(遅いけど)
まるで思春期の自分探しみたいに、2024年4月10日の23時58分に、「私って『まじめマント』を被っているみたい」。いや、「みたい」じゃなくて、しっかり「被ってるわ」。(ネーミング、へたくそか。。)

つまり、私の中にはたくさんの「べき」が折り重なって積もっている。
目をつむると、「女なんだから」「母親なんだから」「妻なんだから」「嫁なんだから」「子どもなんだから」「妹なんだから」などからくる、「○○すべき」が体の中に山盛りに積もっているのが浮かんでくる。

私って、こんなしかめっ面だったっけ?
「決まり」を守れる、人に守ることを求める、そんなタイプだったっけ?
そういう(真面目な)面も持っているのは把握しているけど、もっとふざけたり面白がったりする部分を持っていたはず。おちゃらけたり、無駄な事ばかりしたり、笑ったり笑わせたりするのが大好きなところを、心の真ん中に持っていた。

ちょっとずつ、信頼する人の言葉も借りながら、がんじがらめの思い込み癖を矯正しながら、自分の中を掘ったり、のぞいたりしながら、輪郭の書き直しをしてみよう。

46にもなって、こんな「どこにも行かない自分探し」をするとは思ってなかった。
とりあえず、思いつくままに書いてみる。
私は…

自信がない
すごいと思われたい
ちゃんとやれてると実感したい
人と自分を比較する
人の話を聞いていない
損したくない、というか損したと思いたくない
自分をいい人間だと思いたい
いやなことを避けたい
人に喜ばれたい

まだまだあると思うけど、とりあえず今日はこれで。
時間はかかっても、マントの生地ををすこしずつ薄くしていきたい。
春だしね。

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