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初めまして、はなと申します。

何故noteを始めたのか
自己紹介代わりに生い立ちの話をしますね。
少し暗い話になりますが、
お時間あれば目を通してみて下さい。


私の母はシングルマザーでした。
母の実家に身を寄せ
祖父母、母、叔父、私、弟2人の7人家族でした。

元々、私は父と父の両親と4人で
暮らしていたのですが、

ある日突然、母が迎えに来て
母の実家へ行くことになりました。
「あなたの家はここだからね。」
と伝えられた日、私の人生は一変しました。

私の意思は誰にも伝わる事なく
ある日突然、弟が出来て、私はお姉さんになり
住む家も友達も家族も全て変わりました。

数日で父の元へ戻れるものだと思っていたから
新しい環境では友達を作らない、
そう決めていた事が裏目に出て
人と全く話せない期間もありました。
話せなくなった事に
家族は誰も気付いてくれませんでした。

離婚の後遺症なのか、別の理由なのか
母が統合失調症と言う病気を患い
ヤングケアラーを経験しました。
母の病名を知ったのは10歳の時でした。
母の体調が悪くなったのは私のせいだと
祖母に言われ、その言葉に
囚われて生きてきた人生でした。

その時に言われた言葉が
noteのタイトルにした言葉です。

私が母を病気にさせてしまったから
服も、ご飯も、お風呂も
最低限しか用意してもらえず
祖母の意見に添わない発言をすると
「父の元へ帰れ。
お前は捨てられたから
引き取ってもらえるまで父親に泣いて縋るか、
ここで良い子で暮らすか選べ」と言われ
自分では対処出来ない恐怖の中
中学3年生までを過ごしました。

当時の私は息をする事も申し訳なく感じるくらい
萎縮してしまって、感情の出し方も分からず、
ただ、そこにいる空っぽの人形だと
自分に言い聞かせて1日1日を
やり過ごしていました。

人とコミュニケーションが取れなかったので
小学1年生から高校3年生まで12年間
しっかりいじめにも遭いました。

家にも学校にも居場所が無くて
心が空っぽで、
誰にも気付かれないように
唯一感情のスイッチを
入れる事ができたトイレで
こっそり泣いて
毎日いつを最後の日にするか考える
そんな幼少期でした。

ヤングケアラー、ネグレクト、モラハラ、
いじめ、登校拒否、、、
人生の闇を煮詰めたような人生でしたが

生きてる意味を見出したいと強く思い
結婚もしました。

21歳で結婚を決めて
2人の子供にも恵まれたのですが
相手の不倫、モラハラを11年程受け闇の追加。

30歳までの人生を闇に溶かしてしまったし、
シングルマザーとして
思春期の子供達と戦っているので
毎日大変な事に変わりは無いんだけど
今、至って元気です!

辛い経験をどうやって乗り越えたのか、
自分なりの人との関わり方など
沢山話したいと思っています。

私の経験してきた事が
このnoteを読んでくれた人の
前向きになる一歩になれば嬉しいです。
宜しくお願いします。

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