はな
当時を思い返すと未だに心がキュッと締め付けられる事が多々あります。何処にも吐き出すことの出来なかった心の中を良かったら覗いてみてください。
幼少期の私が過ごした家庭のお話です。 ネグレクト/ヤングケアラー/機能不全家族
これは子供の頃にクラスの子たちと上手く人間関係が作れなくて苦労したお話です。/学校生活/いじめ
統合失調症という病気をご存知でしょうか。 私は統合失調症について 勉強してきた訳では無いので 病気に対しての知識はないのですが、 経験ベースで統合失調症について 書かせて頂きたいと思います。 私の母は私が物心つくより前から 統合失調症という病気を何年も患っています。 私が大人になった今も尚、 入退院を繰り返しています。 母の症状は以下の通りです。 1.陽気にうわ言を話す (会話ができるレベル) 2.表情がなくなり、キツい言葉でうわ言を話す。 (ふとした時に会話ができる
祖父と祖母はそれぞれ個人事業主でした。 家の敷地内にそれぞれの仕事場があり、 母は祖母の仕事を手伝っていました。 小学校から帰ると、 家には戻らず祖母の作業場へ。 夜ご飯の時間になるまで 作業場で過ごしていました。 夜ご飯の時間になると 家に戻り、仕事が忙しい時期は ご飯とお風呂を済ませて 祖母と母だけ作業場へ戻ることもありました。 ある日、小学校から帰ると 母と弟たちの姿がありませんでした。 いつもなら一緒に居るはずの時間も どんどん過ぎて、 寝る時間になっても帰って
ある日の夜、寝ていた私の元へ 女の人とおばあさんが会いに来ました。 久しぶりに会ったその女の人は私の母でした。 夢見心地の中、気付けば車の中で 次に目を開けた時には 何度か遊びに来た事がある家に着いていました。 着いてすぐの頃は 母の元へ遊びに来たんだと思っていました。 1日、また1日と過ぎて行くのに 父はなかなか迎えに来てくれません。 不安になって母に尋ねると 「あなたの家はここだからね。」 と伝えられたのですが "ここが私の家" その言葉の意味が分からず、 1
これは母の実家へ身を寄せる前の話です。 すこしの間、幼稚園に通っていたので 3歳、4歳頃の記憶でしょうか。 物心が付く前に父の実家で 過ごしていた時期があります。 その頃、母と弟は居らず、 父の顔を見る事も滅多にありませんでした。 私の生活は父方の祖母と従兄弟のお兄ちゃん2人 が中心人物の世界で生きていました。 おばあちゃんは1人で薬局を切り盛りして居て 私の遊び場はおばあちゃんの薬局でした。 来る人、来る人におばあちゃんが紹介してくれて 可愛いね、お利口さんだねと
これは母の実家へ身を寄せる前の話です。 私の記憶の中で1番古い家族構成は 父、母、私、弟の4人家族でした。 仕事であまり会えない父。 よく手作りのケーキを焼いてくれる 石けんの匂いがする大好きな母。 ずっと私の後ろをついて歩く弟。 それなりに普通で良くある家庭。 父は教育に厳しい人だったんだと思います。 私の1番古い記憶は、 トイレの練習をしていた時期なので 2歳か3歳頃でしょうか。 なかなかトイレが言えなくて 言えるようになるまでそこに居なさいと 父にトイレに閉じ込め
何故noteを始めたのか 自己紹介代わりに生い立ちの話をしますね。 少し暗い話になりますが、 お時間あれば目を通してみて下さい。 私の母はシングルマザーでした。 母の実家に身を寄せ 祖父母、母、叔父、私、弟2人の7人家族でした。 元々、私は父と父の両親と4人で 暮らしていたのですが、 ある日突然、母が迎えに来て 母の実家へ行くことになりました。 「あなたの家はここだからね。」 と伝えられた日、私の人生は一変しました。 私の意思は誰にも伝わる事なく ある日突然、弟が出来