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Twitterの、タイミングを失ったりした下書き達


どうだっていい光景をよく覚えている。塗り替えられたての黄色いベンチは明るくて、虫も飛んでいる。


お水ってよく分からない。どういうふうに出来ているどういうものなのかとか、味は知っているけれど(おいしい)、生物にそれが必ず必要なこととか、温度でかたちなど変わるとか色々よく分からなくて、理解をしようとせずにそういうものなんだなと思うしかない感じがする。


プレバト、フルポン村上さんが好きなのでテレビ番組の中ではよく見る方なのですが、最下位の人を笑う全員にムカつきます。全ては相対的なことでしか無いのに。本気をちょっと褒められた程度の人が、他人の、褒められなかっただけの本気を笑うな。


その友達とは、日本一早く初日の出が見られる千葉の某埼のまさにその日に、紙コップのホットコーヒーを300円で売るバイトもした。前日にスーパーなどで1リットル200円のネスカフェをたくさん買って、温めてポットに入れたものを提供した。加糖品にさらに砂糖を入れた甘ったるい方がよく売れて、全部売り切れて、人をあまりにも馬鹿にしているそのバイトは歩合だったため時給がかなり良く、クズな責任者の左手薬指には指輪があった。
あのコーヒーと、マルチ商法は何が違うのだろうと考えているけれど、答えなんてあるわけが無い。マルチ誘うのやめてよ。やめられないならそっちから友達をやめてよ。とはいえずにいる。


人生の豊かさ、ってどういう意味で使ってるかがこの文章だけでは分からないのでなんとも言えませんが、この本つまらないなと思いながら読んだ数百ページ目のたった1行にとびきり光る一文を見つけられるのなら、その他の全ての言葉がどれほど強烈に悪意に満ちたものであったとしたって その本を読んで良かったと言えるよ。でも逆に どれほど魅力に満ちた本であっても、たった一単語の存在によって全てがダメになることもある。「読書の有意さ」なんて主語が大きすぎます。


スキマスイッチの空創クリップっていうアルバム好きなんです。短すぎる曲もあるし。


揚げ物、揚げるものによって音が違うのすごい。「いま、何揚げてる〜??」っていう企画を、録画録音環境のないキッチンで、一人で目を瞑ってやったりする。(菜箸で持った感覚で何となくわかっちゃう。)


死が一回性のもので絶対に取り返しがつかないから禁忌とされているのなら!なぜ!君はそうやって!その1秒を無駄に過ごしてるんだちょっと!!ヤンヤンつけボーから机に落ちたカラースプレーを拾って食べるかどうか悩むな!その1秒は死と同じなんだぞ。


生まれ変わるなら動物になり、なににも名前のついていない世界で 絶対に掴めるという確信をしながら光に向かって手を伸ばし 落胆したい。


受け取り評価をしなくちゃとメルカリを開いて、忘れて、黄色いメトロノームを買った。


10:20に家を出る時、9:40くらいからなんかそわそわと焦ってしまうな。9:20にはもう準備が完了しているのに。


文脈は大事!!!!
1コメの「1」ってコメントの意味はまだわかるけど、2406コメの「2406」は意味すらわかんないもんね。


米津玄師に「明日なんて見たこともないのにさ随分あっけらかんとしてるわ」って歌詞があって、確かに僕達は今、経験したこと以外も知ることが出来ているので 明日も自分が生きていること を知ったつもりになっているけれど、なぜ知らない明日に向けて眠ろうとする時間が不安に溢れたものじゃないのか、やっぱりよく分からない。


赤ちゃんを二時間支えた左腕がまだ少し緊張している。少し疲れていて、赤ちゃんの香りが残っている。


ずっと ずっと生きていたいと思うよ


地球が爆発する時まで生きていて、その曜日を知りたい。


動画を見る などの時間消費系の趣味しかない人は生産系の趣味を持った方が良い、とよくお節介な人が言いますが、それはそうだという前提だとして、生産系の入門として、僕はお花屋さんで花束を作ることをオススメします。同じ季節の同じお店の中でも、無限に感じられる程の組み合わせの選択肢があり、出来た花束を眺めることで時間消費系の趣味も兼ねられます。
すごい。


僕は聴覚情報と思考のマルチタスクが基本的に出来ないので、だからこそラジオや音楽は僕の生活にしか寄り添ってくれなくて、それがどうしようもなく嬉しい。


無秩序の中に秩序を形成しようとする営み、こと、生活をしています。


「スタンプを既に持っているためプレゼントできません」と表示されたらしい友達が、僕にブロックされたと思い込み、そのまま2年ほど経っていたらしい。たまたま道で会ってお話してびっくりされた。本当にそのスタンプを持っていただけなのに。僕の趣味が変なせいの2年。


さよならマエストロは賛否両論?!みたいなサイトを何となく開いて読んでいたら、悪い評価の中に「芦田愛菜ちゃんはどうしても子役ってイメージ。愛菜ちゃんの年齢設定に違和感がありつまらない」というものがあり、バカじゃないの??と思った。


これ、スタンスが変わっていて、今までは植物園という世界に人が入っていくという構図だったものが、SNSのために写真を撮ったりする場所(ここ自体が閉じた世界と認識されなくなって、その外側にある世界に向けて発信する場所)になってしまった。
育てるはまだしも「食べる」という、より現実世界の空気に近いものをメインテーマとした、コンセプトの違いによるものではあるけれど、それを顕著にしたのが、空間体験をさせる要素として一番大きなものであるはずの、建築操作によるもの というところに僕はアイロニーを感じている。


じゃがいも溶けるギリギリなのに玉ねぎシャキシャキ寄りのお味噌汁にポーチドエッグ。これでええんです。


tiktokの面白コメントみたいなのが流れてくる度に、小学生の時に「鼻がでる」「猫をかぶる」って、当たり前の言葉として使ったらクラスの大半に笑われて先生も何故か微笑んでいて、当たり前に僕の周りにあって僕のことを構成していた物語の世界って、やっぱりそうなのか、こことは断絶されたあくまでも偽物だったのかと初めて確認したことを少し思い出し、辛い。


今は跡形もなくなった原美術館の住所を覚えていて、道順も覚えていて、いつでもあの場所に行くことが出来る。無くなったことを認めたくないので行ってみてないけど。


原美術館に初めて一人で行った時、いつもは車で行くものだから道が分からなくて、スマホの充電もなくなり、閉館時間も迫っていて、下のコンビニで「原美術館ってどっちですか」と聞いた。外国人であろう店員は、一度分からないと言ったものの、それでも考えてくれたみたいで、まっすぐ左手で指をさして「みんなあっちに行く」と、公には言えないパチンコの交換所を案内する時みたいに教えてくれた。(やったことないから知らないけど)ありがとうと言って外に出て少し離れた信号を待っていると、夏の強すぎる日差しも気にせずその店員が走ってきて、僕が向いている方向とは逆の坂を指さし「あっちだった!あっちだったよ!!!!」と満面の笑みで教えてくれた。右手にはスマホを持っていて、左利きであることが分かった。なんとか間に合い、とても満足して坂をおり、まだその店員がいたのでお礼を言って、そのコンビニでお茶を買い、そのままプレゼントすると「コーラの方が好きですよ、ハハ」なんて言われた。原美術館に一人で行く時にはそのコンビニに寄るのがルーティンになったけど、その後あの店員に会ったことは無い。


所以は1度頭の中で「ショイ!!」と叫んでからゆえんに変換されるし、肋骨は「ジョコツ!」


手話を全く読み取れないMV問題
僕は、歌詞を見ないと全く何を言ってるのか聞き取れない曲を歌詞を調べたりせずにそのままきいていたりするのだけど、そういう崩し言葉的なものやそういう理解の仕方(楽しみ方)は手話にあるのかな。


子供の手遊びだったりダンスなどで、たまたま奇跡的に手話言葉と同じ動きがなぞられる時、手話が声の全てである人たちの、その状況にない人達には不可能な、全く違う地点が強制的に頭の中に立ち顕れるその感じ取り方を、とても羨ましく感じる。


大好きだけどもう会えない犬が夢に出てきた。珍しく雨の日で、それでもお散歩を求めて、ばあちゃんに怒られていた。風邪ひいちゃうからねと言ってもリードを持ってしっぽを振り続けるので、僕は彼と屋根に登った。前日にピーターパンを見た影響があるのだと思う。屋根の上に上がるなら雨降りのお散歩でもいいじゃんと今は思うけれど、夢の中の僕たちにとってはあれがその時の最適解で、屋根のうえで、山の上からまっすぐこちらに腕を伸ばす灰色の分厚い雲を2人で眺めた。気がついたら隣に彼はいなくて、その雲の上から鳴き声がした。雨はやんでいたのに、サイゼリヤの天井にある空の絵のように、僕の上の空にはそのまま、雨をふらせた灰色の雲がぺったりと張り付いていた。彼のよく響く嬉しそうな声をききながら、僕は家の中に入っていった。


Twitterの下書きを、投稿するために要約しないといけないのが面倒くさい。それがTwitterの良い所なんだけど、僕の 本音を簡単にさらけ出さないためにどんどんと言葉を足して装飾していく文章 とはあまり合わない。いや、作文(?)が下手なんだと言われればそれはそうなんだけど。句点読点も酷いものだし。


「わたしはその意見に否定的ですが、この場で堂々と否定して良い話題なのか判断できる視座を持ち合わせていない」って意味で「多様性の時代だしね」って言わないでよ。それは、「賛成しないけど否定していいのか判断つかない」以上でも以下でもありませんよ。時代ではなくあなたの問題です。


「空」って漢字は二年生で習うのに
「穴」って漢字は六年生にならないと習わないのって、目に見えるものの方が想像しやすいからなのかなと思う。広いどこまでを空と呼ぶのかは分からないけれど空は色を持っていて目で見えるもので、穴って、穴自体を見ることは出来ない。周りの物質が途切れた空気のことを穴と呼びます、っていまいちよく分からないもんね。


じいちゃんがよく「こんなに大きい服着れないよ」とXLの服をくれて、5XLとかならまだしも、どう着れないのだろうと思っていましたが、あれってただ僕に服を買ってくれていたのに、普通に渡すのが恥ずかしかっただけなんだと気がつきました。


とっても地球に似た星は必ずどこかにあるけれど、その星のどれにも、月は無いような気がしている。その星の海は波を立てず、夜を照らすものは僕たちのように共通のひとつではなく、それぞれが持ち寄る光だと思う。どこまでも静かな夜に寄りあって面白く顔を寄せあってお話をするのだろう。


もし天国で呼ばれる名前が自己申告制なら、日本の天国は自分の名前を「かわいい」だと勘違いした犬で溢れているだろうし、ドイツ天国では「niedlich」アメリカ天国では「cute」イタリア天国では「carino/carina(順不同)」


給料日直後に必ず行っていたパン屋さんが無くなった。千円オフ権が3枚もあったけど、いつも使わずにパンを買っていた


何か大切なものが無くなってしまう機会って本当に無垢なものです。


もう10年以上前からルフィたちは新世界を冒険しているのに、胸にバッテンの傷があるルフィのフィギュアなどを見ると、あ!新しい方のルフィだ、といまだに思ってしまう。


追徴課税追徴課税〜!って歌いながら会社の鍵を開けていたら真後ろにいつの間にか上司がいてちょっと睨まれた。いつも仲良いのになぜなの、脱税してるの?納税ちゃんとしな??


今日の13時までが会期の美術展について、この地に初めて来たであろう3人組が、電車の中で、どこで降りるんだあだこだ言っていた。待ち合わせまでの時間が結構あったし、降りる駅とおなじだったので声をかけ、鑑賞時に色眼鏡にならない程度の簡単な感想を言いつつ案内したところ感激されお礼に高いお蕎麦を貰った。僕はお蕎麦アレルギーなので待ち合わせ相手にあげたところ、村上春樹のエッセイを3冊貰った。あと絵本の柄のチロルチョコ。貰ったエッセイは全部持っているタイトルだったので、帰ってから、もともと待っていた方の3冊をまとめて、メルカリで1500円くらいで売った。


人は、考え続けて、答えのないことを、答えが出ないと理解するために生きています。


朝のお父さんを起こそうと上に飛び乗ったメイちゃんが「時には〜」って白日を歌い始める訳分からなくて笑っちゃう動画を見たことがあるのだけど調べてもなかなか出てこず、しばらく探してる。トトロとKing GnuとTwitterに詳しい人いない??


志望大学に落ちて高校3年間何をしてきたんだろう努力していたつもりでできていなかったのか というつぶやきを見ました。努力って結果に出ないとそう呼べないようなものでは無いのですが、気持ちはとても分かりました。
努力を認めるということは、それでもなお、目標としている規定には実力が足りなかった自分を認めるということなので、それよりは、「努力をしていた」こと自体を否定してしまうのだろうと思います。努力を否定するのと、それでも足りなかった自分を認めるのって、どちらが辛いんだろう。


雨の日って湿気多いな


雑誌やSNSだけで見た事があった ビジュアルが良い空間 を作る建築家が先ほど、ゲストとして自室紹介のインスタライブをしていて、その様子に少しガッカリした気持ちになってしまった。
やりたい仕掛けを優先して、残りの面積を必要居住空間とする組み立て方だったのだけど、その部分が、面積が足りていない事を源動機としたかなり消極的なミニマムさで、そこまでして優先したかった仕掛けに対する言及も解像度のかなり低い、"建築家らしい"理想を混ぜたものだった。
結果としてビジュアルは良く、ミニマルな生活のしつらえ自体を嫌いなわけでは無いのでそこは良いのだけど、質問に対して必ず、人が何かを誤魔化す時のアイソレーションを起こしていて、面積が足りなかったからこうなりました!と堂々と言ってくれる方がずっと空間に対しても誠実だし、納得できるのになあとガッカリした。言葉は目的ではなくて手段であること、忘れてはいけないよ。


え!?アヲハタの「白桃&グァバ」って通年販売してるんですか?
春になるまで並んでいないと思い込み、スーパーのジャムコーナーを見ている時、何度でも見つけられなかった。人間ってなんて愚かな生き物なんだ。(主語が大きすぎる)


僕の髪の毛はもじゃもじゃしていて、その先っちょ部分を傘にほんのりくっつけて歩くと、振動が伝わってきてちょっと楽しい


雨の日の傘の音が好き。雨を受けた傘の間で生まれた音も、弾むようにして、生まれられたことを嬉しそうにしている。


耕運機オンザロード、とてもゆっくり


映画「ショーシャンクの空に」
あの、塀の中では誰よりも常識人で良心の塊で人の心に寄り添うことに長けているように見えた"あの"ブルックスが、仮釈放委員会が好意で貸してくれているブルーアー(多分そんな名前)というそのホテルにナイフでボロボロと文字を刻み込んで、そこで死ぬという決断をしたところを見て、ああ本当に、あのブルックスでさえ本当に、外の世界で、社会というものの中では、生きていくことが出来ないんだなと思った。原作は読んだことがない。


年に数回、麺類の夢を見る。何だこの味は!?と毎回叫んだところで起きる。何だこの味は!?と起きるけれど、だいたいは紛れもなく普通のカルボナーラだったり醤油ラーメン。


夜中に起きた時などに、ボーッと考えていることをメモするくせがあるのだけど、なんだこれってメモが結構あります。これは、お惣菜をつっついて値引きシールを貼ってもらっていたおばさんを見た次の日のメモ。


活動家の街頭演説の真横にホームレスが寝転んでいるのが見えて、グレタさんの主語はいつもweだけど、少なくとも目の前のこのおじさん達の主語のweにはあのホームレスは含まれてないな、と思いながら横を通り過ぎた。止まろうとは少しも思わなかった。僕はweとさえ言えない。


トルココーヒーには、微細なコーヒーの豆がそのまま含まれていて、それが飲んでいるうちに沈下していき、飲み終えたカップに残った粉の形で占いをするらしい。のんびり飲むことを前提としている、ゆったりとした時間が含まれているコーヒー。そんなの、美味しいだろうな。


信じるの対義語って「存在しないことを知る」なのかな。


ひとつの細胞がひとつの宇宙だとしたらブラックホールは宇宙の外側の表面で、そうして吸い込まれた星たちが、他の宇宙のエントロピーを抑えたりしているのかもしれない。


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