スランプに抱かれていた字書きの話①


とても個人的な話をしようと思う。私という字書きと、そしてスランプの話だ。

スランプとはつい先日まで関係を持っていた。関係、といってもそこにあったのは愛や恋じゃない。もっとぎすぎすしていて、もっとしょうもないものしかなかった。いや、もしかするとそんなものすらなかったのかもしれない。ただ、スランプといる間、小説を書くのがずっと辛かったことだけは確かだ。
書くのが辛いという、その時の気持ちはまだ、生々しい傷として私の中にある。
そのせいだろうか、正直、私はまだあいつとのことも過去にしきれていない。だから、この記事も少し感情的になってしまうところがあると思う。
それでも私は、奴とのことを書く。書き残しておきたいなと、そう感じたからだ。



【2017年秋、未遂に終わる】

「この文章、読みにくいなあ」
そうスランプに声をかけられたのは、四年前の秋だった。冬コミ合わせの原稿中で、ちょっと席を立って戻ったらパソコンの前にスランプがいたのだ。
「上っ面だけの文書いてんねんな」
そう続けてスランプが笑う。私はあまりのことに驚いて、どうして人の部屋に勝手にいるのかとか、勝手に読むなとかそういうことを言おうとした。それに何より、無礼極まりない。けれど何故か口から出たのは「分かってる」なんてもぞもぞとした一言だけだった。
だって、私だって分かってる、分かっているのだ。そんなことは。

スランプのことを話そう。
奴とは、実は小さい頃から付き合いがあった。とはいっても、幼馴染みと呼べるような友好的な関係じゃあない。腐れ縁、と呼ぶほどの関わりもない。
ただ私が何か趣味を持つと、こうしてふらりと押しかけてきては「ピアノ全然うまくならんな」とか「そのドラム、ただやかましいだけやわ」とか、そういう、自分が一番気にしていることをいきなり言ってくる。そうして私が落ち込むのを見て鼻で笑うような、そういう奴なのだ。人の悔しそうな、悲しそうな顔を見るのが好き。最低な奴である。そういう、嫌な顔見知りだった。
そしてその嫌な顔見知りは、私が少し前から小説を書き始めたことを知っていた。そもそも、私は昔から何かしら文章を書くのが好きだったので、あちらからしたら「いよいよのめりこみだしたな」くらいのものだっただろう。そういうところだけ、とても目敏いのだ。
私は昔から、スランプが嫌いだった。


「ゲストまで呼んで気合い入ってんなあ」
スランプは、私の原稿をひとしきり読んで好き勝手なことを言っていた。
「進捗は?」
わざとらしくプレッシャーをかけてくる。私は唇を噛む。
「一章の途中」
「全部でなんぼあるん」
私は押し殺すように「十」と言った。締切まではあと二ヶ月ある。けれど多分、今書いている部分は消してしまうだろう。時間が足りていないことは分かっていた。スランプが「は」と短く笑う。
「まず完成まで時間足りてないやん。そもそもこんなテーマ書きこなせるわけないやろ。自分の度量知らんの?
思いつくのは勝手やけど、書いたもん読まされんのは他人やぞ」
「だから書いてるでしょ」
「ゴミみたいな文をなあ」
当時、私はこの冬コミ発行の本を出したら小説を書くことを休もうと思っていた。書くことは楽しいけれど、あまりにも日々がそればかりになってしまうので、一度生活を立て直したかったのだ。
けれど、ここにきてうまく文章が進まない。書いては消し、書いては消すばかりの毎日で、私は一体何を書いているのだろうと思い始めていた。スランプの言葉は、そんな私にひどく、深く、刺さる。
「あっち行って」
私はスランプを押しのけ、パソコンの前に座った。キーボードを叩く私のことを、スランプは笑っているようだった。

「諦めえや」
それからスランプは、度々私の部屋に現れるようになった。私が友人と、原稿のことで通話していてもお構いなしである。
「がんばれ、書ける書ける」
電波に乗って届く励ましの言葉と、スランプの「書けへん書けへん」という嘲笑が重なって聞こえる。私はスランプを睨みながら「がんばる」と友人に返す。

結局、私が脱稿したのは冬コミ開催ぎりぎりになってのことだった。本は出た。けれど私の中には、悔いが残っていた。もっと書けたんじゃないかという気持ちだ。時間的にも、内容的にも。もっと、できたんじゃないか。
「だから言うたやん」
スランプが、私の本を手に笑う。
「ゲストさんは皆すごいのになあ。表紙も描いてもらって、一人だけしょうもない。情けないなあ」
その通りだった。情けなかった。何も言い返せない私に、スランプが「もう辞めたら?」と言う。その声が、どういうわけかやけに優しく聞こえた。
「ちょっと休むとか日和らんと、辞めるってちゃんと決めえや。どうせまともなもん書かれへんねんから」
言いながら、スランプが私の方へ手を伸ばす。私は後ずさる。が、すぐに壁に背中がついてしまった。
「書いててしんどかったんやろ。しんどくても何にもならへんねやろ。なら辞めえよ」
しんどかった。辛かった。そしてそれ以上に、自分で納得しきれていないのが辛い。
「書くのなんか辞めてまえ」
そう笑って、スランプが私の顔の横に手をつく。私は思う。もしここで、書くことを辞めたら楽になれるんだろうか。だってこれはただの趣味だ。楽しいか楽しくないだけで、全てを決めたって良いはずだ。……なのにどうして、そうしたくないと思ってしまうんだろう。
私は耐えきれなくなって俯く。そしてふと、自分の足元に何かが転がっていることに気づいた。
それはマシュマロだった。私はしゃがみこみ、マシュマロを拾い上げる。柔らかい。いつだかもらった感想のマシュマロだ。私はぼんやりとそれを眺める。すると今度はスランプの足の向こうに、手紙が落ちているのが見えた。イベントでもらったものだ。スクショで保存した感想も、そのすぐ近くにあった。これまでに出した本もあった。私はしゃがんだまま、不思議な気持ちでそれらを見渡す。
よく見ると、私の部屋には沢山のものがあった。
「……辞めない」
気づくと、自然にそう言っていた。スランプが「はあ?」と頭の上でオーバーな声を上げる。私は立ち上がり、スランプの顔を真正面から見据える。
「これで終わるとか絶対に嫌だ。また書く」
途端に、スランプは表情をなくした。そして「ああそう」とつまらなさそうに言うと、部屋から出て行った。

それからしばらく、私は小説を書くことを休んだ。そうは言っても三ヵ月くらいのことだったと思う。それから少しずつ、ごく自然に、小説を書くという行為に戻っていった。
スランプは時々部屋に来たけれど、私が好きな作家さんの本を読んで喜んでいるのを見ると、つまらなさそうにしてすぐ消えた。
そうする内に、私と奴の距離は離れていった。私はほっとして、気ままに本を出し続けた。



【2019年初夏、スランプとの再会】

スランプが再び私の前に現れたのは、去年の六月のことだった。
「調子良さそうやなあ」
頭上から降ってきた声に顔を上げると、そこにいたのはスランプだった。私は次のイベントで頒布する予定の、アクリルキーホルダーの写真を撮っていたところだった。アクリル板に文章だけを印刷したものなのだけれど、何だか好評だし楽しいから、何種類も作っていた。
「影になるから、そこどいて」
「そんなグッズ作る余裕があるとは、原稿も余裕なんやなあ」
「……」
黙り込む私に、スランプが「あれえ?」と大袈裟な声を上げる。そして勝手に人のパソコンを覗くと、こちらを振り返りにやにや笑った。
「書けてないやん」
「書くからほっといて」
「褒められたもんばっかり嬉しいから手出して、字書きとか言っときながら小説は後回しなんやな」
私はかっとなってスランプの背中を叩く。スランプは「しょうもな」と笑って、私のことを雑に抱き締めた。スランプに触れられたのは初めてだった。嫌いだ。

その夏、私はアクリルキーホルダーを十種類以上作り、何とかねじ込むような形で二冊の本を出した。そして同じ頃から、スランプに抱かれるようになった。
今でもどうしてスランプに、そんなことを許してしまったのか分からない。ただ何だかひどく疲れていて、何を書いてもどこか虚しさがあったことはよく覚えている。そして、そんな私のことをスランプが「あーあー、空っぽやなあ」と笑って引き寄せたことも。
スランプ曰く、私は空っぽらしかった。そんな私のことをスランプが埋めていくというのも、何だか妙な話ではある。……埋められているなんて、思いたくはないんだけど。

結局、それからというものスランプは、私の部屋に入り浸るようになってしまった。


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