スランプに抱かれていた字書きの話④

【前回のあらすじ】

スランプはソーシャルディスタンスを守り、虚無の私は寄稿依頼を受けた


【2020年春、スランプvs開き直り】

「調子乗ってんなあ」
三月も半ば、スランプがふらりと現れて開口一番そう言った。私はといえば、引き受けたエッセイの寄稿文を一度書いて消し、もう一度書き始めたところだった。そう、私は二月に来たエッセイの寄稿依頼を受けたのだった。
呼んでもないのに現れたスランプを見て、私はげんなりする。
「密は駄目なんじゃなかったの」
「飽きたわ」
しれっと言って、スランプが私のパソコンを勝手に覗く。タイミングが悪いことに、書きかけの文と寄稿についての依頼内容を表示していた。
「小説もあかんのにエッセイ? 下手くそな文章の自分語りとか手に負えへんやん、ようやるわ」
案の定、スランプは私のことをそう嘲笑った。私は暗い気持ちになって、スランプをパソコンの前から押しのける。

エッセイを書くのは、実は初めてじゃなかった。エッセイ本の見様見真似で、何度か書いたことがあったのだ。どれも「書くこと」についてのエッセイだ。そして、今回も「書くこと」について書く。
引き受けたのは、依頼してくれた人が私とスランプのことを知ってくれているからだった。そういう人間に書けるものがあると、思ってくれているのが嬉しかったのだ。だから、応えたかった。
しかしスランプは、そんな私の書きかけのエッセイをぼろくそにけなす。
「格好つけすぎて何も伝わらんなあ」
「えらそうに自分語りして、面白いもん何も書いてへんくせにようやるわ」
「人のふんどしで相撲とってるだけやないか」
「客観性がないねん。自分に酔ってるエッセイほどおもんないもんないわ」
後ろから好き放題に言われ、私は何も答えずコーヒーを飲む。友人に相談のラインを送っていると「それくらい一人で考ええよ」とまた野次を飛ばされた。
「客観性がないんで、周りから客観的な視点をもらってるんです」
「甘えやな」
その通りだ。結局私は甘ったれながら、求められるのが嬉しいという理由でずるずると寄稿を引き受ける。誰にも読まれなくて構わないと言いながら、短編をぽつぽつと書きこぼす。書きかけのエッセイには、そういうところが出ているような気がした。格好つけている。
「……でも、小説を書くよりは気が楽だよ」
「聞いてへんわ」
言い捨てて、スランプが私の髪の毛を引っ張る。痛いと怒ると、スランプはけたけた笑って私の耳を噛んだ。密はやめろ。

結論から言うと、その後私は締切当日にエッセイを全部書き直した。
三度消して、四度目の正直というやつである。突然、もっとしょうもない自分を書こうと思い立ったのだ。いや、思い立ったというより、ようやく踏ん切りがついたと言った方が正しいんだろう。
ほぼ完成していた原稿を破棄する私のことを、スランプはポテトチップスを食べながら眺めていた。
「あー、間に合うかなあ。いや、でも絶対こっちの方が良い」
ぶつぶつ言ってキーボードを叩く私の横で、スランプが油のついた指を舐めて「あほやろ」と言う。
「何でいっつもそうなんの? 締切当日に書き直すとか頭悪いん?」
「頭は悪いけど、これで絶対面白くなるし伝わるから良い」
「そんなん思い込みや」
私は答えない。その通りだからだ。でも仕方ない。私はその程度の人間だ。馬鹿馬鹿しくて、見栄っ張りで甘ったれだ。こうしてスランプに好き放題言われながら、何が書きたいのかも分からないまま、何かを書いている。そういうのを、エッセイに書こうと思った。
完成した原稿を読んで、スランプが言う。
「びっくりするほど役に立たへんな」
私は笑って、スランプの髪の毛を思いきり引っ張った。これっぽっちも役に立たないものを書いた私は、何だか少し楽しい気持ちになっていた。


【2020年初夏、不安定】

エッセイを書き終わってからしばらく、私は仕事以外のほとんどを家で過ごした。感染症の影響だ。
どこにも出かけられない分、友人や知人と通話する機会が増えた。ライブや舞台の配信がいくつも自宅のパソコンの画面に流れ、私は沢山のエンターテイメントをわんこそばみたいに飲み込んでいった。飲み込むのに忙しくて短編も書かず、小説の寄稿にも手を付けなかった。その割に料理に精を出すなどしていたので、我が家の冷蔵庫は何だかひどく健康的になる。

けれど私がいくら健康的になっても、世界が大変な状況であることには変わりがない。色んな物事は停滞したままだった。エッセイを書いて少しばかり開き直りを覚え、尚且つ割合元気な状態の私は、何かしたいなあなどと漠然と考え始める。
こういう状況下でも楽しいこと……。友人と「楽しいことをしたいねえ」なんてラインでやり取りしながら横を見れば、楽しいことなど一つも連れてこないスランプは、私のパソコンでだらだらとソリティアをしていた。私は奴を放置して、昨日作っておいたピクルスをつまみに酒を飲む。
楽しいこと……。そういえば夏の舞台は開催されるんだろうか。友人のライブは一つくらいできるんだろうか。皆に会えるのかな。まだ書いてないけれど、寄稿の小説は夏のイベントで本になる。そのイベントは、中止になってしまわないだろうか。
楽しいことと心配なことが、一緒くたになって私の中でぐるぐると回る。楽しいことに対して、私ができるアクションはあまりに少ないような気がした。もっと何かできないかなあ。私はぼうっと考えながら、ツイッターを眺める。そうして、しばらく悩んだ後そっと8月のイベントに申し込んだ。
少し不思議な気持ちだった。だって、私が思い浮かべる楽しいことの中に、サークル参加がまだあったのだから。

「イベント申し込んだよ」
私がスランプにそう告げたのは、イベントに申し込んでから数日後のことだった。
スランプがあからさまに顔をしかめる。「性懲りもなく」という表情だ。けれど何も言わずにいるので、私は珍しいなと思いつつ勝手に喋る。
「今、皆大変でしょ。少しでも運営とお世話になった印刷所にお金を払いたくてね。せっかくのプチオンリーだし、賑やかしになれたらなって」
「何の言い訳やねん。聞いてへんし」
「五十音の短編まとめ本なら出せそうじゃない? あとニヵ月あればさすがに三十本書けるでしょ。それから別の話もちょっと考えてて」
スランプが興味なさそうに「はあ」と言う。
「何か浮かれとって気持ち悪いなあ」
「浮かれてはないよ。予定が何もないよりはある方が良いってだけ。あー寄稿早く終わらせないと」
「ほんま言うことコロコロ変わりよる……」
嬉しそうな私を見るスランプは、いつも嫌そうだ。その割に部屋を出て行かない。隙あらば罵ろうと思っているんだろう。けれど、私は何も書けない、全然駄目な自分に対して少し開き直っている。そうして開き直れる程度には、一月の傷はかさぶたになっていたし、そして「まあそれでも短編もエッセイも書いているし」という気持ちも少なからずあった。
もしかしたら、少しはましになっているかもしれないんじゃないかな。だってエッセイを書き上げた時、楽しかったし。

私は妙なテンションのまま、寄稿の小説に取りかかる。そして、やっぱりというかなんというか、すぐさま木っ端みじんになった。
「何で……」
思わずそんな言葉が口から漏れる。短編で文章の練習も少しだけではあるけれどして、エッセイも書いたのに、その成果は少しも出ていないようだった。ましになっているなんてとんでもない。私は、ただの駄目な奴だった。何も変わっていなかった。
「いや、なんも努力してへんねんからそうに決まってるやろ」
スランプが呆れたように言う。
「努力……」
「開き直ってへらへらしとるだけで、何が変わんねん」
私は呻く。呻きながら、信じられない気持ちで書く。そして、消す。
書けば書くほど、いくらか浮ついていた気持ちが沈んでいくようだった。気持ちが沈めば、その分筆の進みも遅くなる。そういう私のことを、スランプは見透かす。
「テーマに沿ってへんやろ。屁理屈こねんなしょうもないねん」
「人に恥かかすのほんま好きやなあ」
「えらっそうに引き受けて、結局これか」
寄稿を書く私に、奴は容赦なかった。私はその言葉一つ一つに苛々しながら書いては消し、書いては消す。そうして、休みの日にはホテルのデイユースを利用するようになった。以前使っていた作業スペースが閉店したのだ。いつだかと同じように、休みの度にパソコン入りのリュックを背負い出かける私のことを、スランプは「成長ないなあ」と笑う。

私は不安になる。夏のイベントに申し込んだのは、間違いだったんじゃないだろうか。また一月みたいに、ずたずたの気持ちで、自分のことを大嫌いになるようなものしか出せないんじゃないだろうか。
「まあそんなもんやろ」
スランプの言葉がずっしりと私にのしかかる。肩こりがひどい。
私は破れかぶれな気持ちで書き続ける。言葉がぽろぽろこぼれて、それを慌ただしく拾いもう一度埋め込んで、そうしたら今度は別の場所から言葉が落ちるから、またそっちを拾いに走る。そういう私の足を、スランプがひっかけて笑っている。死ね。

結局、私が寄稿を提出した時には、当初の脱稿予定を大幅に過ぎていた。梅雨はとっくに明けていて、じりじりと焼けつくような熱の中、いつの間にか蝉が鳴いている。ミンミンとけたたましい蝉の声とリンクするように、私の中を「終わった。次だ」という単語が何度も叫ぶ。
終わった。終わったから、次の原稿だ。次。書かなきゃ、間に合わない。次だ。
「何かこれ、前と同じことしてる気がする」
ぼそりと呟いた私を、スランプが「そやなあ」と鼻で笑いベッドに突き飛ばした。


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