023七夕飾りの完成

建築家・松村正恒研究と日土小学校の保存再生をめぐる個人的小史  [8]2005年:悪化する状況の中で開いた第2回「夏の建築学校」

花田佳明(神戸芸術工科大学教授)

 前回書いた通り、2004年9月7日の台風18号の強風によって校舎に被害が出たことから、日土小学校の保存活動は窮地に立たされた。保護者や地域の方々が校舎の安全性に疑問を感じ、建て替えを望む声が強くなったからだ。しかし校舎に愛着を持たれている方も多く、地元の皆さんによる検討委員会が作られはしたが、保存か建て替えかの意見は平行線のままだった。八幡浜市はとりあえず地元の意向を尊重するとして静観の姿勢をとり、早急な結論が出ることだけは回避されていた。2005年になると新聞でそういった事態が報じられるようになり、愛媛大学の曲田清維先生からファックスで送られてくるたびに私は気を揉んだ。

001愛媛新聞050117

愛媛新聞2005年1月17日の記事

002読売新聞050322

読売新聞2005年3月22日の記事

 そして2005年3月には、日本建築学会の本部とDOCOMOMO Japanから、八幡浜市長、市議会議長、教育長、教育委員会委員長の4氏宛に保存要望書が提出された(日本建築学会の保存要望書はこれ)。危機感の象徴と言えるだろう。
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 そのような状況の中、「夏の建築学校」の2回目を開催したいという思いは保存活動関係者の間に強くあったが、初回のようには日土小学校や地元の協力を得ることが難しいことは容易に想像できた。
 ちょうどその頃、三晃金属の広報誌『sanko』から曲田先生と私で日土小学校のことを語ってほしいという依頼があり、4月16日(土)に八幡浜で対談をした。その内容は、「対談「生きつづけるモダニズム建築−八幡浜市立日土小学校」」として『Sanko』No.278に掲載された。
 翌日、曲田先生と、松村正恒が市役所時代に設計した中津川公民館へ行ってみようということになった。この建物は、松村の設計原図の状況を確認するため2003年3月21日に市役所を訪れた際、初めて見に行ったと思うのだが、広い座敷があったので夏の建築学校の会場になるのではないかと考えたのである。
 八幡浜市の中心部から南東方向へJR沿いの道を車で走り、夫婦岩公園から左にまがって細い山道へと入って行く。やがて隠れ里のような小さな集落が現れ、川沿いに切妻屋根の中津川公民館が見えてくる。日土小学校などを見慣れた目には、本当にこれかと戸惑うくらい簡素な建物だが、傷みが少なく大切に使われていることがよくわかる。
 竣工は1956年で、中津川地区の蜜柑農家のための集会場や選別場として建てられた。日土小学校の中校舎と同じ年の完成で、よく見ると似たようなモチーフは散見されるが、後の調査によると松村は数日間で設計をまとめたらしく、日小学校ほどのシャープさはない。詳しいことは拙著『建築家・松村正恒ともうひとつのモダニズム』の400〜405頁を見ていただきたい。

003中津川公民館の周囲

中央の淡紅色の建物が中津川公民館(2003年3月21日撮影)

004中津川公民館正面

中津川公民館正面(同上)

005中津川公民館側面

中津川公民館側面(同上)

006中津川公民館玄関

中津川公民館玄関(同上)

007中津川公民館2階広間

中津川公民館2階広間(同上)

 建物の前でさてどうしたものかと思っていたら、たまたま居られた地域の方が、中津川地区区長・菊池久さんが公民館長でもあるので、そこへ行ってみてはどうかと教えてくださった。さっそく曲田先生とご自宅を訪れ、中津川公民館の使われ方などを伺いつつ、夏の建築学校の会場にさせていただけないかとお願いし快諾を得たのである。
 映画会・カラオケ・詩吟の会などで土日はほとんど使っている、毎月1回清掃し住民でできる修理は行なっている、建て替えになると地元の負担も必要になるので大切にしている、松村さんの設計であることは住民に伝えてある、日土小学校の状況は知っている、残せるといいなあと思っている、といったお話も嬉しかった。
 ふとした思いつきだったが、やってみるもんだねと曲田先生と二人、胸をなでおろしたのであった。
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 ところでこの時期、日土小学校のことを広く紹介する機会が二つあった。
 ひとつが、東京のパナソニック汐留美術館で開かれた「文化遺産としてのモダニズム建築 DOCOMOMO100選展」(2005年3月12日(土)~2005年5月8日(日))である。2000年に開催された20選展以来、日本建築学会DOCOMOMO対応ワーキンググループは2003年にさらに80のモダニズム建築を加え100件とし、それらについての展覧会が企画されたのである。日土小学校の資料も展示され、新建築社からは『JA 57 文化遺産としてのモダニズム建築DOCOMOMO100選』も出版された。

008「文化遺産としてのモダニズム建築 DOCOMOMO100選展」のチラシ

「文化遺産としてのモダニズム建築 DOCOMOMO100選展」のチラシ

009『JA 57』の表紙と日土小学校の頁

『JA 57』の表紙と日土小学校の頁

 もうひとつは、松山市の愛媛県美術館で開かれた「チャールズ&レイ・イームズ-創造の遺産-展」(2005年5月3日(火)~2005年6月12日(日))である。その一環として、愛媛大学の高安啓介先生らによって「地域フォーラム イームズ・デザイン&地域におけるモダンデザイン」が企画され、日土小学校についての展示も行われた。そして5月15日に講演会とシンポジウムが行われ、私も「モダニズム建築と日本の地方都市」と題して、戦後の地方都市におけるモダニズム建築の事例を紹介し(神奈川県立近代美術館、羽島市庁舎、神奈川県立音楽堂・図書館、広島平和記念館、倉吉市庁舎、香川県庁舎、出雲大社庁の舎、東光園、呉羽中学校、江津市役所、広島県庁、兵庫県の青渓中学校(設計:東大吉武研究室)、各地の木造郵便局舎)、新しい社会建設のなかでモダニズム建築が果たした役割を解説した上で、同じような視点から日土小学校と松村正恒の話をした。
 いずれもいくつかの新聞などで紹介され、日土小学校が置かれた状況を知ってもらう機会になったはずだ。

010「チャールズ&レイ・イームズ-創造の遺産-展」のチラシ

「チャールズ&レイ・イームズ-創造の遺産-展」のチラシ

011愛媛新聞2005年5月18日の記事

愛媛新聞2005年5月18日の記事

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 さて、第2回の「夏の建築学校」である。会場が決まり、中身をどうしようかと曲田先生たちと相談をした。その結果、会場の中津川公民館に宿泊させていただくことができるようになり、合宿制でいくつかの授業と見学会を行うことにした。講師には、話題を広げる目的で、昨年もお願いした岡崎直司さんや私以外に、同潤会のアパートに詳しい建築計画学の大月敏雄先生(当時・東京理科大学准教授、現在・東京大学教授)と、愛媛県歴史文化博物館学芸員の大本敬久先生を加えた。
 募集要項に示されたプログラムを整理すると以下の通りだ。

●主催:木霊の学校日土会、日本建築学会四国支部
●実施日:2005年8月6日(土)13時〜7日(日)正午まで
●場所:八幡浜市中津川公民館
●講座内容(タイトルは当初のプログラムではなく後述するまとめ冊子によっている)
 8月6日
 ・1時間目 「入門:松村正恒と日土小学校」花田佳明
 ・2時間目 「住宅の記憶の継承 1億総記憶消失にならないために」大月敏雄
 ・3時間目 「愛媛の近代木造建築」 岡崎直司
 ・4時間目 「中津川の地域と財産—「民俗」の視点から—」大本敬久
 ・その他、中津川の子供たちとの七夕飾り作り
 8月7日
 ・午前中に川之内小学校と日土小学校の見学。その後、日土小学校体育館での閉校式。

 ただし募集要項には、日土小学校の見学および同校体育館での閉校式については「未定、現在調整中」と書かれており、当時の緊迫した状況が反映されている。結局、閉校式は日土小学校の体育館で行うことはできず、川之内小学校の体育館をお借りした。
 今回も参加者を公募し、中津川公民館での宿泊と食事を希望する場合は定員20名で参加費は5,000円、ホテル等で宿泊する場合は3,000円とした。食事はありがたいことに、中津川地区の地元の皆さんと木霊の学校日土会の皆さんが担当してくださった。今回も参加者には雑巾持参を義務づけた。
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 結局26名の応募があった。私のゼミ生をはじめとする神戸芸術工科大学の学生さん、他に4つ大学の学生さん、松山建築会という勉強会の社会人の皆さんなどだ。
 神戸芸工大チームは8月5日(金)の朝に大学を車で出発し、NTT高松病院、香川県庁舎、坂出人工土地を見学して八幡浜入りをした。
 翌8月6日(土)午前中はオプショナルツアーということで、八幡浜市内に残る松村が設計した旧・図書館(当時は児童クラブとして使用。詳しいことは拙著『建築家・松村正恒ともうひとつのモダニズム』の175〜190頁)や登録有形文化財の梅美人酒造の建物などを見学した。

012旧図書館外観(正面)

旧図書館外観(正面)

013旧図書館外観(背面)

旧図書館外観(背面)

014旧図書館内部(階段)

旧図書館内部(階段)

015旧図書館内部(2階旧閲覧室)

旧図書館内部(2階旧閲覧室)

016梅美人酒造

梅美人酒造

 13時から受付開始。今年も知らない人たちが全国から集まってきた。
 今回は中津川地区の子供さんとのふれ合いから始まった。事前打ち合わせの際、区長さんから、ぜひ地域の子供たちも参加させたい、彼らに大学生というものを見せたいというお話があったのである。
 会場は2階の大広間。映像上映に備え廊下には農業用と思われる黒いビニールシートが張られ、室内には使い込まれた長机が並べられている。廊下側には地域の歴史を書いた資料が貼られたボードが設置され、地域に残るさまざまなお札も展示されていた。すべて地元の皆さんが準備してくださったもので、事前には全く知らされておらず、感激した。

017廊下側の暗幕

廊下側の暗幕

018地域の歴史の説明ボード

地域の歴史の説明ボード

019地域に残るさまざまなお札

地域に残るさまざまなお札

 まさに寺子屋であった。前半分に子供たちが座り、後ろ半分が大学生や大人たち。互いに挨拶をして授業が始まった。
 最初は地域の歴史の話をうかがい、子供たちは緊張気味だったが、間もなく参加者全員での七夕飾作りに移り、会場は打ち解けていった。

020寺子屋のような雰囲気で授業開始

寺子屋のような雰囲気で授業開始

021七夕飾り作りへ。菊池久区長さん(右端)は伝統的な飾りを披露。

七夕飾り作りへ。菊池久区長さん(右端)は伝統的な飾りを披露

 そして1階の選果場で笹に取り付けて完成。かき氷も振舞われ、地域の大人の皆さん、子供たち、そして参加者とでの楽しい時間が過ぎて行った。

022 1階の選果場での作業とかき氷

1階の選果場での作業とかき氷

023七夕飾りの完成

七夕飾りの完成

 そのあと子供たちは解散し、15時半から本格的な授業が始まった。
 区長の菊池久さんから松村建築や今回の催しに対する嬉しいお言葉、今回も校長先生役の木霊の学校日土会会長・菊池勝徳さんらの挨拶があり、参加者も互いに自己紹介をした。
 1時間目は私。松村正恒と日土小学校の概要、および会場となった中津川公民館のことを話した。
 2時間目は大月先生。同潤会アパートや保存を求める訴訟まで起こされた大塚女子アパートなどを例に、建築を残すことの重要性を話された。
 3時間目は岡崎さん。愛媛県内に残る木造建築の代表的なものを熱く紹介された。
 4時間名は大本さん。ご専門の民俗学的視点から、中津川地区のさまざまな伝承的行為はもとより、今回の行事を通して地域が「外からの眼差し」を感じることの重要性まで、興味深いお話をいただいた。
 4時間目が始まったのは19時10分、空腹と戦いながら授業が終わったのは20時。あたりはすっかり暗くなっていた。

024菊池久区長の挨拶

菊池久区長の挨拶

025私が中津川公民館の解説をしているところ。

私が中津川公民館の解説をしているところ

026大月先生による同潤会アパートの解説

大月先生による同潤会アパートの解説

027岡崎さんによる愛媛の木造建築の解説

岡崎さんによる愛媛の木造建築の解説

028大本さんによる中津川地区の民俗学講義

大本さんによる中津川地区の民俗学講義

 そして待望の夕食である。今回も地域の皆さんのお世話になった。どっと手料理が運び込まれたかと思うと、会場は一瞬にして地域の皆さんと参加者が入り乱れた談論風発の場へと変身したのであった。

029懇親会の様子

懇親会の様子

030地元の皆さんによる手料理の数々

地元の皆さんによる手料理の数々

 就寝は広間で雑魚寝。ただし中津川公民館の設計は面白く、広間は5間×6間の畳敷きだが、それに付属した一段高い舞台部分も16畳の畳敷きで、その間に広間側は板、舞台側は襖紙を貼った引き戸が入れてある。そのおかげで、男女もなんとか分けられたのであった。
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 二日目、8月7日(日)は7時起床。地域の方が用意してくださった朝食を食べた後、お礼の掃除を行なった。

031広間の掃き掃除

広間の掃き掃除

032持参した雑巾で各所の拭き掃除

持参した雑巾で各所の拭き掃除

 その後、お世話になった中津川公民館長の菊池さんにお礼を言い、日土小学校と川之内小学校の見学へと向かった。
 川之内小学校は、松村の設計で1950年に完成したもので、現在は統廃合で使われていないが、松村の設計による最も古い現存建物である。吹きさらしの廊下上部から教室への採光を取る工夫があり、その後のクラスター型配置による両面採光の萌芽が感じられる。日土小学校とは全く違う雰囲気に、参加した皆さんは驚かれたに違いない。詳しいことは拙著『建築家・松村正恒ともうひとつのモダニズム』の170〜174頁を見ていただきたい。

033川之内小学校外観(正面)

川之内小学校外観(正面)。入り口の三角庇は後付けである

034川之内小学校外観(背面)

川之内小学校外観(背面)。カーテンウォールではないが水平連窓的な立面が美しい

034川之内小学校昇降口兼廊下

川之内小学校昇降口兼廊下

035川之内小学校2階廊下

川之内小学校2階廊下。大切に使われていてどこもピカピカである

 最後は川之内小学校の体育館をお借りして閉校式を行なった。昨年同様、菊池校長先生からは、レポート提出の宿題がついた「仮修了書」が渡され、その後刊行された今回の活動の記録冊子『夏の建築学校 八幡浜』(日本建築学会四国支部学校建築探求団特別委員会、2005年12月)に、講義内容等とともに全てのレポートが収録された。
 校庭で記念写真を撮影して解散し、私は夢なら醒めないでくれと言いたいほどの幸せな気持ちになると同時に、今度は台風来ないでよと祈りながら学生たちと神戸へ向かったのであった。

036川之内小学校体育館での閉校式

川之内小学校体育館での閉校式

037参加者で記念写真

参加者で記念写真

038『夏の建築学校 八幡浜』

『夏の建築学校 八幡浜』(日本建築学会四国支部学校建築探求団特別委員会、2005年12月)の表紙。川之内小学校の階段での記念写真