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introduction - 写真が背中を押してくれる

はじめまして、フリーランスカメラマンのはなだです。

東京・墨田区を拠点として、写真撮影の仕事を始めて7年目になりました。
本業は会社員として人事の仕事をしていますが、そのほかに個人で開業届を出して写真撮影の仕事をしています。
パラレルキャリアと言えば格好良く聞こえるかもしれませんが、自分の身の回りの環境の変化に応じて働き方を考えていたら、たまたまこのようなスタイルに落ち着きました。

初めは家族写真からスタートし、最近はWebメディアの取材撮影や劇団のスチール撮影など、マイペースな事業運営ながら少しずつ幅を広げることができています。

写真と子育て

写真は子どもの頃から好きで、写ルンですを旅行や合宿にいつも持って行っていましたし、大人になってデジタル一眼レフを手にし、旅先で撮った写真が小さな賞をいただいたこともあります。いくつかある趣味のひとつとして、写真はずっと私のそばにありました。

ですが自分に子どもが生まれたとき、それまで感じたことのない使命感のようなものを覚えました。「この子は私が撮らねばならない」と、言葉にしてしまえば単純なことで、親になれば誰もが思うことかもしれませんが、私にとっては"写真を撮る理由"がひとつはっきりした瞬間でした。

そうして子どもたちの写真を撮りためていくうち、この行為には単に成長を記録する以上の意味があることに後に気づきました。
それは"自分の子育てを肯定する"ということです。

子育てはそもそも正解のない営みである上、子どもは日々変化する生き物です。昨日はうまくいったと思ったことが今日はうまくいかない、なんてこともざらです。成長した分だけ自我も強くなり、人間同士としてぶつかることもしょっちゅう。パートナーと子育てについて意見が合わないことだっていくらでもある。おまけに家事も満足にできていない、本当にこれでいいのか、日々葛藤ばかりです。

そんなときに家族の写真を見返すと、不思議と"まあいっか、とりあえずよくやってるじゃん私"と思えるのです。あーあと溜息をつきたくなる瞬間がたくさんあっても、写真を通して家族や子どもたちを見てみると、私たち家族ってそんなに悪くないんじゃない?と気を取り直せるのです。
もちろん、写真を見返している瞬間の、気持ちのゆとりがそう思わせる部分もあるでしょう。けれどそれだけではなく、写真という形のおかげで自分たちを俯瞰できる側面が確かにあると私は思います。写真が自分の背中をちょっと押してくれるのです。

写真と地域

もうひとつ。子どもと写真を通じて自分の暮らす地域への関心が高まったのも、大きな変化でした。
子どもの行動半径は狭いので、毎日の園や学校と近所の公園、その通り道など、同じ場所を背景にした写真がたくさん溜まっていきます。それでも数年の間に公園の遊具が変わり、踏切が高架に変わり、馴染みのお店が新しいお店に変わり、写真の中の風景は変化していきます。

それらを見ているうち、この街を"子どもたちが誇れる故郷にしたい"という気持ちが芽生えてきました。

何も街づくりの仕事をしようとか、政治や行政に働きかけようとか、そんな話ではありません。家族の暮らす場所と半径5メートルの範囲(園や学校も含めて)がまずは安全で快適なこと。顔の見える距離にいる大人が、子どもたちに少しずつ関わってくれること。
つまり私自身も地域の大人の1人として、我が子を含めた地域の子どもたちと大人が繋がる場を作ったり、彼らに対して自分の背中を見せる必要があると思ったのです。
そして写真というメディアがあればできるなと。
そんな風にまたも写真が私の背中を押してくれたのです。

じゃあそんなことを考えている私が具体的にどんなことをやっているのか、これから少しずつ綴っていきたいと思います。

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