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早稲田大学競走部の伝統

前回、私が早稲田大学競走部駅伝監督になった経緯について書きました。
今回は、競走部の伝統ついて私が思うところを書いてみたいと思います。

早稲田大学競走部の創部は1914年のことで、来年には110周年を迎えます。卒業生には日本人で初めてオリンピックの陸上競技で金メダルを獲得された織田幹雄さん(三段跳び)、マラソンレジェンドで私の恩師でもある瀬古利彦さん、一昨年の東京オリンピックでマラソン6位入賞した大迫傑選手など、数多くの日本代表や日本記録を更新した方がいます。この先、その仲間入りをしそうなところでは、トヨタ自動車の太田智樹選手も競走部OBです。
私の二つ下には、駅伝監督として早稲田の大学駅伝三冠を達成した渡辺康幸君がいますが、彼は自身が大学3年時に10000m日本代表として世界選手権に出場しています。彼の教え子である竹澤健介君も、在学中にオリンピックに出場しており、競走部にいるとアスリートとして日本代表を目指すのは当然という空気というか、伝統があるように感じます。

振り返ると、私も瀬古さんから早稲田大学へ進学の勧誘を受けた際、

『花田君、私と一緒に世界を目指そう!』

と言われて、自分の中に漠然とあった夢が、目指すべきリアルな夢となって、チャレンジしてみたいと進学を決めたように思います。
今でこそお正月の一大イベントとなっている箱根駅伝も、当時は全国テレビ放送が始まったばかりで、関西圏に住んでいた私は実はあまりよく知りませんでした。

『関東では箱根駅伝という大きな大会があるので、そこにも出てもらうことになるけれど、それは世界を目指すうえでの通過に過ぎないよ。まずは私を信じて大学3年生までに学生のトップレベルの選手になって、箱根駅伝では区間賞を獲ってチームも優勝できるように頑張ってほしい!』

続けて瀬古さんにそう言われて、箱根駅伝、そしてその先の世界へのレールが敷かれているように感じたものです。
瀬古さんの書籍に、恩師である中村清先生の話が出てきますが、中村先生も同じように、

『瀬古君、君は将来はマラソンで世界一になれる選手だよ。』

と瀬古さんに声をかけて、瀬古さんもそれを信じて世界を目指すようになったそうです。

私も選手を引退して上武大学駅伝部の監督となった当初、ある選手の勧誘の際に、

『私と一緒に箱根駅伝、そしてその先の世界を目指そう!』

と声をかけたことがありました。
ところが、後から顧問の先生に呼ばれて、
『まだ創部したばかりで箱根駅伝の予選すら通っていないのに、世界を目指そうと選手に声をかけるなんておこがましいよ。』

と諌められました。指導者として現実を見れていないと自戒しましたが、一方で自分が競技者として成長していくうえで原動力となった言葉を理解してもらえない寂しさも感じました。

『まずは個人で学生トップの選手を育てよう。そして上武大学を箱根駅伝常連校にして、その言葉にふさわしいチームにしよう。』

そう誓って、その後はさらに指導に力を入れるようになりました。今となっては、その経験が私自身の成長にも繋がったと確信しています。

昨年、競走部駅伝監督として母校に戻ってきましたが、ミーティングで選手たちに、
『箱根駅伝、そしてその先の世界を目指して一緒に頑張ろう!』
と話した時、多くの選手たちが目を輝かせて、やる気になった様子を見て私は心が震えました。
早稲田大学競走部では長距離に限らず、短距離やフィールド種目の選手たちも、大前祐介監督の下で世界を意識して日々トレーニングに励んでいます。
部の伝統として礼儀を重んじ、学業に真摯に向き合うことも今に引き継がれていますが、この『世界』を志す心もこの先も変わらず引き継いでいきたい大切な伝統の一つです。