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不運を使命に変えられるか?

「仲の悪い家庭で育ったこと、そして良い大学に行けなかったことを悔やんでいます」

育った環境、そして自分の努力不足から生まれた "不運" を、口惜しさとともに吐露したクライアントがいました。Hさんは自分のありたい姿に向けて前進している最中ですが、恵まれた家庭に育ち一流大学を出て活躍している人を見ると、「所詮、自分はこの程度の人間だ」とあきらめの気持ちになってしまうのだそうです。

「見えない」の再定義

昨日、『目に見えない世界をあるく』という本に出合いました。

著者である広瀬浩二郎氏は、13歳のときに視力を失いました。京都大学・大学院では、日本宗教史、触文化論を研究し、現在は「ユニバーサル・ミュージアム」(誰もが楽しめる博物館)の実践的研究にも精力的に取り組んでいるそうです。

大変興味深いことに、彼は「触常者(触覚優位の生活者)」と「見常者(視覚優位の生活者)」という区分を提唱し、「触文化」の探求を通して、視覚に限定しない豊かな感性体験を提案しています。

「触常者」は目が見えない分、目に見えないものが見える。

つまり、視覚では捉えられないものを、想像すること、思考すること、ひいては創造することに彼らは長けているのだ、と。

聴覚障碍者の人を見る力

ふと、「ダイアログ・イン・サイレンス」というイベントを想い出しました。"音声に頼らず対話をする達人" 聴覚障碍者のアテンドによる、言葉の壁を超えた対話を楽しむエンターテイメントです。

イベントに参加したとき、聴覚障碍者の方の観察力に驚いたことを覚えています。
初対面の参加者10名程度とアテンダントでモニターを囲んでいました。色々な画像を見て言葉を使わずに対話をしていくのですが、その画面に誕生日ケーキが映ったのです。

私は、その日が誕生日でした。
なので、そんなこと申し込みのときに伝えていないはずなのにな、と内心少し驚いたのです。そうすると、アテンダントが私に注意を向け(誕生日でしょう?)と言わんばかりの笑顔を向けてきたので、私も思わず笑顔で返事しました。

きっと、私の表情や雰囲気の微妙な変化を読み取ったのでしょう。私は誕生日だなんて事前に伝えていなかったのですから。そして、彼女の強みである「人を見る力」に感心するばかりでした。

どうにもならないことで終わらせない

のび太は「自分が年をとって死ぬまでろくなめに合わない」という将来を知り、落胆します。あくまでも漫画の世界ですが、そのような前提があったからこそ、ドラえもんと過ごした時間が私たちを楽しませてくれたのです。

ちょっとだけ発展させると、「もうどうにもならないこと」を目の前にしたとき、それをいかに「使命感」に転換できるかが、ステージの転換には重要だと思います。

自分ではコントロールできない一見弱みと思われることを、いかに価値に転換するか。弱みと自覚しているからこそ、逆に人よりも何かに秀でていることに気付いた人を私は多く知っています。

「どんな人でも可能性があるってことを、私は人生かけて証明したいんだと思います」

クライアントHさんは、セッションの最後に力強く言いました。
そして、私はその何かが変わろうとしているエネルギーに心打たれるのです。

ここまで読んでくださってありがとうございます。
今日も素晴らしい1日を!

画像:ドラえもん1巻[1974]「未来の国からはるばると」











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