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不安定を楽しまないでください

不安定な作品、ヴァロットンの魅力

部屋を掃除していたら、ヴァロットンの図録と再会しました。
フェリックス・ヴァロットンは、画家でもあり、版画家でもあります。実は、私、彼の作品から感じる「不安定さ」の虜なのです。

■ ボール(1899年)

ヴァロットン①

■ 貞節なシュザンヌ(1922年)

ヴァロットン③

■ 嘘 <アンティミテ>Ⅰ(1897年)

ヴァロットン②

私の言う「不安定さ」は、"絵から伝わってくる感情" や "タイトル" から感じます。

例えば、今回は人物が描かれている作品を並べましたが、その人物の感情がわかりやすく感じられないのです。嬉しいのか、悲しいのか、怒っているのか・・・感情を断定することはできず、鑑賞者に「捉える余地」を与えているのです。
また、特に10点からなる木版画連作<アンティミテ(親密さ)>は、付いているタイトルも絶妙です。一見、タイトルと絵の内容が一発で紐づきづらいからこそ、より一層想像力が膨らんでいくのです。

きっと、その「不安定さ」は、「わかりやすく定まっていない」「これだ、と決められない」ところから感じられたのではないかと思います。

「〇〇かもしれない」そこには、捉える余地がある

「不安定さ」といえば、3歳からの哲学絵本とも呼ばれている『りんごかもしれない』からも、実は似たような感覚を覚えるのです。
この絵本の中では、「りんごと見えるものは、実はりんごではないかも」という可能性を探求しています。

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りんごかも

りんごは、りんごであると断定しなかったがゆえに、こんな1冊の絵本にまで発展したことがすごい!!(りんごと決めつけていたら、本になる可能性もなかったでしょう)

この絵本からは、「かもしれない」と断定しなかったがゆえに、生まれていく想像力、その可能性を存分に感じられます。遊び心を排除し、決めることを繰り返すシチュエーションが多い人に対しても、何かしらの気づきが得られるような、そんな作品です。

不安定を可能性に変える

今回は、どうしても「不安定さ」の素晴らしさを記しておきたかったのです。よく、「余白」や「行間」ともいわれますが、人が捉える余地を残すってとても大切なことだと思うのです。

例えば、グラフィックレコーディングもそうです。グラフィックレコーディング(以下、グラレコ)とは、会議の中での議論を、図式や絵などを使ってリアルタイムで可視化する方法です。これは、以前コーチングゲーム「POINTS OF YOU®」のイベントに行った際にあったグラレコです。

ヴァロットン①

いわゆる文章だけの議事録のように、明確に発言内容が書かれているわけではありません。文字は本当に本当に大事なところだけしかなく、むしろ絵の方が目立つくらいです。

この前、グラフィックレコーダーの方とお話しした際、「言われていることを可視化するだけでなく、"行間" も大事にしている」と聞いて驚きました。
明確に論理立てて、誰が見ても議論内容やネクストアクションが分かるようにきっちり書け、と教えられた議事録の前提がひっくり返ったからです。

グラレコは、あえて行間を残すことで発想の余地を残しているのです。議事録が「記録するためのもの」だとしたら、グラレコは「発想を生み出すためのもの」なのかもしれませんね。

コーチングのコミュニケーションも実はそうです。
コーチングでは、YES・NOで答えられるクローズドクエスチョンではなく、基本的にはオープンクエスチョンを行います。「どんな可能性がありそうですか?」とかね。

たまに、「どんな・・・って言われても」と戸惑う方がいます。これまで考えたことがなかった質問だったのかもしれません。もしかしたら、具体的に質問してくれないと答えられないよ、と思っているのかもしれません。
ですが、それは可能性を最大化する関わりの1つで、曖昧な質問をすることで、あえて様々な捉え方ができる余地を残しているのです。

きっちりと定義されていない、すべてを表しきれていない、そんな「不安定」なものは、想像力を掻き立てて可能性を拡げます。
そう考えると、白黒はっきりしないことも、少し受け入れてみようかなと感じませんか?


ここまで読んでくださってありがとうございます。
今日も素晴らしい1日を!


【参考】Artpedia  https://www.artpedia.asia/


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