【子宮頸がんの記録#2】がんの疑いと言われた日
2023年春、経過観察のための子宮頸がん検診へ。
2022年秋の結果では1年後でよいと言われたが、
産婦人科医の兄が「AGCの結果で放置していて進行がんになっていた人もいるから、半年後に受診したほうがいい」と言ってくれたので受診することに。
もう少しあとに行っていたら、もっと進行していたはずで、このアドバイスにはとても感謝している。
さて、細胞診の前にエコーをしてもらって、子宮も卵巣も異常なし。
子宮頸部を少しこすって、終わり。
また「AGC」が出て、組織診なんだろうなーと楽観的に考えていた。
1週間後の結果説明。
「結果があまりよくなかったのよ」
そう言われて見た紙には「Adenocarcinoma」の字。
子宮頸がん検診 細胞診の結果一覧(ベセスダ分類)
NILM:陰性(異常なし)
ASC-US:軽度扁平上皮内病変疑いあり
ASC-H:高度扁平上皮内病変疑いあり
LSIL:HPV感染、軽度異形成(CIN1)
HSIL:中等度異形成(CIN2)、高度異形成・上皮内がん(CIN3)
SCC:扁平上皮がんの疑い
↑扁平上皮系の異常
AGC:異型腺細胞
AIS:上皮内腺がんの疑い
Adenocarcinoma:腺がんの疑い
↑腺系の異常
Other(アザー):ほかのがんの疑い
前回はAGCだったのでAISをすっ飛ばして、Adenocarcinomaになったことになる。
産婦人科の医師からは
・細胞を外部の病理検査会社に送付し、その検査会社がAdenocarcinomaと判断したが、他のところでは違う判定をするかもしれない
・プレパラートを渡すから、それを持って大学病院へ受診してほしい
とのことだった。
「そんなに大事《おおごと》なんだ」と驚いたが、まだ実感は湧かなかったしどこか他人事だった。
ただ、産婦人科の兄にその結果を伝えると、かなり動揺しており、その反応でショックを受けたことを覚えている。
私、死ぬの?
自覚症状全然ないのに?こんなに元気なのに?
癌…?本当に?
まだ30代なのに。
という気持ちで呆然とした。
ごはんも喉を通らない、おなかも空かない、なにも手につかない。
涙を流す私に、「ママ、いたいいたい?」と長男が尋ねる。まだ「悲しくて泣く」ということもわからない、こんな小さな子を残して私はいなくなってしまうのか。
「大丈夫だよ」と安心させてあげるのが母親なのかもしれないが、言えなかった。
私が一番「大丈夫だよ」と言って欲しかった。
タイミングの悪いことに、その日の夕方から夫は出張で不在。
とても一人で(正確には子ども2人がいるので3人だが)いられるメンタルではなく、義理の両親に泣きながら電話をかけた。
片道6時間ほどかかるところに住んでいるのだが、翌日すぐに来る手配をしてくれ、とても心強く思った。
実の両親も遠方で、かつ働いていたため、週単位で滞在してもらうのが困難だろうという遠慮があった。
まだ癌と決まったわけではないのに、不確定な情報をこれ以上広げて不安にさせたくなかったから言わないでおこうと思った。
それでも誰かと話をしていないと自分がどうにかなってしまいそうで、実母にも電話し打ち明けた。
母は泣きながら電話をかけてきた娘に驚いて、さらに「癌」というワードで言葉を失った。
母はとんでもない自由人でミーハーでカラッとした性格の変人である。もう還暦だが、あいみょんやback numberのライブに一人で参戦するし、精神年齢は5歳くらいにも思える。
「私は私、あなたはあなた」の姿勢を自分の子どもにも貫くので基本は放任主義。「愛情あふれる母」像からは程遠い。
もちろん困ったら助けてはくれるのだが、「癌かもしれなくて不安で一人ではいられない」というふんわりとした理由では仕事もあるのだから駆けつけてくれはしないだろうと思った。
そんな母が電話の向こうで言った。
「もしあちらの両親が行けなかったら、私が行ってたよ。大丈夫、いつでも行くからね。」
母は、いつまでも母なのだなと思った。涙が止まらなかった。
義両親が来てからはごはんも少しずつ食べられるようになり、笑って話すこともできるようになった。
誰かがそばにいてくれるということが、こんなにも心強いのだとはじめて感じた。
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