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大学時代のちょっと納得できなかったこと

 大学一年生のとき、いくつかある必修科目のうちの一つが、私の学年は「ハズレ」だったといわれていた。
 一年生五十人弱のうち、単位がもらえたのは数人だけであったからだ。

 後から聞くと、教官は学科の中でもベテランの厳しい教授で、一年生向けの基礎講座を担当するのは久々だったそうだ。ほとんどの学生が「不可」をくらった。
 授業は確かに難しかったし、単位認定の論述試験ももちろん難しかった。試験が終わった後、友人たちと「再履修だー」と慰めあった。

 その論述試験でなにを書いたか覚えていないし、当然出来がよかったとも思っていなかったのだが、私はなぜか単位をもらえた。
 無論、「可」であったが、単位をもらえた数人は皆等しく「可」だったそうだ。

 友人たちにはうらやましがられたり、答案の内容をきかれたりもしたが、私自身にもなぜかはわからなかった。

 その結果、次の年にその講座は二学年分の学生が受講する事態になった。担当教官は別の教授に代わっていたが、もともと交代制だったので、落第者が多すぎたせいではない、たぶん。

 私は狐につままれたような気分のままであったが、再履修を逃れられたことを単純に喜んでいた。
 そして、再履修組の友人たちのほとんどは後輩と一緒に「優」をもらった。

 これにあれ? と思ったのは就職活動が始まってから。成績表には科目と成績だけが掲載されるから、再履修かどうかはわからない。
 一年生で私がもらったレアな「可」と、二年生で再履修した友人たちの「優」
 見栄えが良いのは、もちろん「優」のほうだろう。

 時は就職氷河期、ITバブルがはじけたといわれた「超氷河期」、少しでも良い材料が欲しかった。

 厳しい教授から単位をもらえたというプレミア感が、一気に反転して恨めしい染みになってしまった。

 たった一つの「可」が、企業側にそれほどマイナスに働いたとは思わない。なにしろ「超氷河期」、採用控えに成績表など関係ない。「不採用」の山を前にしての、単なる逆恨みだ。

 ただ、いまだにちょっとだけ納得できない気持ちは残ってしまっている。
 あのときの「可」は、ちょっとだけ特別な「可」だったはずなのだ。

これまでに、頭の中に浮かんでいたさまざまなテーマを文字に起こしていきます。お心にとまることがあれば幸いです。