歴史と時間の流れと懐古する私
時間は相対的だ、との考えがあります。現時点で理論を構築したわけではありませんが、私も絶対的ではないと考えております。
坐に母が口にしていた言葉を思い出すことがあります。
「昔は時間が沢山あった」と。
母は昭和三十六年生まれ。昭和の中頃。そして、昭和の終わりに私が生まれ。自認では、母が口にした「昔は時間が沢山あった」とは、私が高校生の時です。よって、平成十七年くらいとします。
平成十七年当時、私の家にはインターネットがありませんでした。又、私と父はガラケーを持っていましたが、母は持っていません。パソコンも一般家庭にあまり普及していなかったと記憶しています。
母の情報源はテレビとラジオと新聞と近所での世間話程度。情報渦中の現在に比べると、無人島で暮らすような情報量のはずです。
なぜ、母が「昔は時間が沢山あった」と感じたか。
時間を遡り、私が小学生くらいの頃。
私の実家は農家でして、一般的な日本家屋に住んでいました。襖を開けると、誰かがいます。
冬になると、祖母がラジオで演歌を流しながら干し椎茸の選別をしていました。灯油ストーブの匂い、そしてストーブの上で私たち兄弟ようの鯣を焼いている匂いが、鼻腔に残っています。
小さかった私は、祖母と何を話していたかは記憶にありませんが、学校のことや些細なことでも話していたことでしょう。
波紋が立たないような、とても穏やかな時間でした。
そんな家庭でしたが、いつしか時流の大波が押し寄せて、母の持つ時間の概念を侵食してしまったのでしょう。懐古して「昔は時間が沢山あった」と述べていたのではなく、本当に忙しそうでしたから。
先日、本を読みました。
日本人と日本文化 -中央公文-
司馬遼太郎氏とドナルド・キーン氏の対話集です。
その中の一部を抜粋します。
ドナルド・キーン氏が述べています。
江戸時代は、私たちが想像もできないほど生活のテンポがのろかったと言うことを忘れてはならないでしょう。何かの出来事があったら、二十年もその出来事の話をしていた。たとえば、ハンガリー生まれのベニョヴスキー男爵と称する不可思議な人物が、奄美大島から長崎出島の商館長に手紙を送って、これからロシアが日本に攻めてくるから注意しなさい、と言った。いまから思えば、当時のロシアにそんな余裕はなかったはずですけれど、このことは国防の重大な問題として二十年も論じられた。いまだったら、同じような事件があっても、三日で終わるでしょうね。
上記のように、江戸時代は現代よりもっともっともっと時間がゆっくりだったようです。二十年も論じるなんて、今の国際情勢でしたら考えられません。タイムマシンがあれば、一度江戸時代に行って当時の時間を感じてみたいものです。
「昔は時間が沢山あった」というのは、言わば歴史の事実を母が体感して理解したからこそ、溢れ出た言葉であります。
これからも時間が加速していくとなると、私は興味と恐怖を覚えます。
地球という惑星の縛りと時流がありますから、情報を閉鎖してもしようとしても時間の流れに逆らうことは難しい。いっそ時流に乗った方が楽なのでしょうが、歴史を振り返ると懐古しています自分がおります。
雑談になりました。今日はこのくらいに。
花子出版 倉岡
文豪方の残された名著を汚さぬよう精進します。