見出し画像

この一歩を踏み出せるのだろうか   城山三郎先生の文学碑 滋賀県

こんにちは。

朝晩の涼しさが増し、夏が終わろうとしています。
小学生の頃、夏休みの終わりが近づき、憂鬱と新学期の希望が混じり合い、複雑な気分で過ごしていました。

小学生の夏休みは人生の中で特に印象深く、自然の中でさまざまな欠片を拾い集めていました。それはクワガタムシやカブトムシなどの有形なものであり、感性や情緒などの無形なものでありました。

数回ほどの登校日があり、その中で戦争をモチーフにしたアニメを見ました。世界で起こる紛争も何も知らない僕にとって、とても恐ろしいものばかりで、その時間だけは心がソワソワし、「戦争がなければいいのにな」と願っていたことを記憶しています。
戦争を体験された方々は、時と共に少なくなってゆきます。限りある命ですから仕方がないことですが、生の声がなくなると、書籍等に頼ってゆくことになります。
近代日本文学を読んでいますと、戦争の描写が頻繁に登場します。
それほどまでに、戦争とは時代を象徴し、国民の意識を掌握し、多くの犠牲と新たな価値観を植え付けたのでしょう。


城山三郎先生の『一歩の距離』
この本は、滋賀県の航空隊の小説になります。
特攻隊として志願するか否か。志願するには、一歩前に出る必要があるのです。バッターで殴られたり、まめをナイフで切ったり、と辛辣な描写もありますが、当時の生々しさを知ることができます。
特攻隊を志願し、東京から会いに来た母に、虚言するシーンは涙してしいました。いくら国のためとはいえ、特攻隊は命と引き換えですので、育ててくれた母に真実を言えませんよね。

現代が持つ生命への価値観とはそぐわない部分も大いにありますが、「生まれて死ぬ」という一つに真理の視点に立つと、とても考えさせられる小説です。

画像3


この小説の文学碑が、滋賀県の堅田の湖畔沿いにありましたので伺いました。

画像1

 浜松に艦載機の襲来があってから、大津航空隊でも、空襲警報の度に九四水偵を避難させることになった。十五機が一斉に飛び散って、湖岸の茂みの中へ隠れる。・・・上尾たちは、(中略)飛び乗り、全力で滑走し、離水・着水して逃げ込む。上尾機の避難先は、浮御堂の少し先の芦の原の中の水路であった。芦は二メートルから三メートル近くものびていた。
 グラマンが来た。低空に舞い下り、執拗に追いかけて来た、上尾機がその水路へ飛び込む。またプロペラが廻っている時、機関砲弾ふぁ眼の前の芦を薙ぎ倒して行った。上尾は思わず水に飛び下りた。(中略)足の茂みの先には、浮御堂の反った屋根が、夏の日に光っていた。

画像2


文学碑はまさに湖岸にあります。この湖岸を、そしてこの上空を戦闘機が駆け回っていたとは、想像し難いものです。今は、小説や文学碑に記載されている芦は生えておらず、美しい場所でした。

戦争について考えてしまう、残暑の季節です。


花子出版   倉岡

文豪方の残された名著を汚さぬよう精進します。