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『義』  -吉田と再会 -   長編小説



-吉田と再会 -

 入り口には、吉田が立っていた。前回会った時と同じ風貌だ。

 大輔は息を飲んで、吉田を見た。感情が高揚する。それは、単なる探し人を見つけた時のような些細な感情ではなく、前世から探し続けた故人と再会したような、懐古的感情の揺さぶりだった。手に持つグラスが熱く感じた。

 吉田は風のように歩き、カウンター席に座った。女の店員が吉田の前に立った。吉田は無表情で注文する。聞き逃すまいと、大輔は耳を傾けた。

「バーボンロック。ダブル」

 吉田の低い声色が、大輔の鼓膜を突き抜けた。すかさず大輔は、吉田の広い背中を凝視し、彼是吟味する。一体どんな仕事をしているのだろうか。どこに住んでいるのだろうか。どんなトレーニングをしているのだろうか。詮索しては、吉田の背中から吐き出される威厳によって、描いたイメージが掻き消された。それは禁忌な妄想なのだろうか。熱いカクテルを飲み干した。

「大輔くん? 大丈夫」

 片方の女が、大輔の顔を覗き込んだ。

「あ、ごめん。別のこと考えてた」

 大輔は視線をテーブルに戻す。平らな俎板に、化粧を塗りたくった人形が二つ並んでいる。目を擦ると、女だと認知出来た。

「大輔。こんな可愛い女の子を前にして、別のこと考えているなんて、失礼すぎるぞ」

 ニヤケ面の健斗は、場を盛り上げる。

「もー、健斗くんって本当に上手だね」

「本音だよ。ねえ、もっと飲もうよう。シャンディガフが美味しいぜ」

「私もそれにするー」

 健斗は店員を呼んで、カクテルを注文する。大輔は首を振り、追加のドリングを拒んだ。

「吉田さん、ご来店されましたね」

 去り際、店員が大輔の耳元で囁いた。大輔の顔が綻んだ。

 四人は講義の話や、女の所属するダンスサークルの愚痴を話ながら、夜の深まりと、カクテルを堪能してゆく。健斗がオチを付けて話すと、それを聞いた女二人は、手を叩いて哄笑する。横目で吉田の背中を見入る大輔は、態度に出さないももの、心がそわそわしていた。女の哄笑が、バーボンを嗜む吉田の耳障りになっていないだろうか、と。

 吉田は店員を呼び、一万円のピン札を渡した。店員は礼を言う。吉田は足早に歩き、退店した。

「ごめん、俺先に帰る。用事を思い出した」」

 大輔は財布から折れ曲がった千円札を数枚取り出し、テーブルに置いた。

「おいおい、どうしたんだよ、大輔。こんな可愛い女の子二人を前にして、帰るなんて、そりゃあ、勿体ない話だ。油田を見つけたのか? それとも、金鉱を見つけたのか? やれやれ、大輔は本当に惜しいことしてしまったよ」

「違う。大事な用事があるんだ。じゃあ」

 大輔は席を立ち、入り口に向かった。フロアを歩く女の店員が、大輔に駆け寄ってきた。

「頑張って下さいね。応援しています」

 店員が大輔の背中を押した。何を応援するのだろう、と若干の疑念を浮かべつつ、大輔は軽快な足取りでBARを出た。

 行く手を塞がれた熱気が、むさ苦しく街を蠢いている。街の眠りは遠そうだ。吉田は酩酊する人々を機敏に避け、悠然と歩いていた。身長が高く、側からみると頭が一つ浮かんでいる。大輔は、吉田の太い首に乗っている綺麗に刈り上げた後頭部を一心に見つめ、遅れることなく歩いた。

 薄暗い路地を右へ左へと曲がりながら、新宿駅から離れてゆく。次第に、店や人々が、霞が晴れるように減ってきた。

 路地を曲がった。すると、大輔の視線から吉田の姿が消えた。長い一本道の左右にビルの壁が聳え、気軽に入れるコンビニ等はなく、隠れる場所は無い。大輔は首を振りながら小走りで路地を進んだ。足音が静かに響く。吉田は一体どこに行ったのだろう。

 すると突然、背中に狂気を感じ、足を止めた。

 速まる鼓動を感じつつ、息を止めてゆっくりと振り返る。路地の中央に黒い壁が立っていた。凝視した。壁は吉田だった。対峙すると、吉田の体軀が明瞭に分かる。吉田の熱が伝わる。吉田の深く彫り込んだ目が、細くなっていた。睨んでいるのだろうか。

「すみません」

 大輔は咄嗟に謝り、頭を下げた。吉田の身体は動かない。

「吉田さんが、どんな仕事をされているのか気になって、後を追ってしまいました。本当にすみません」

 吉田が大輔に一歩近付く。大輔は殴られるのではないかと思い、奥歯を噛み締め、拳を固く握った。

 幾分の時が経ったが、吉田は口を開かない。大輔は瞼を開け、恐る恐る吉田の顔を見上げた。吉田の眼光が、街灯のように眩しく光っていた。

「本当にすみませんでした」

 大輔は深く頭を下げた。すると、吉田は大地に背を向け歩き出した。言葉を発せないのだろうか。いや、BARでは、はっきりと注文をしていた。吉田の低い声色は、記憶に新しい。再び、吉田の後を追った。

 吉田が気付くように、敢えて足音を立てながら後を追った。子供が親の気を惹きたいがために悪さをするように、吉田の気を惹き、向かい合って話をしたかった。怒られても構わない。興味がふつふつと沸き立っていた。
吉田は振り返ることなく、路地を歩き続けた。一歩ほど開け、大輔は歩いた。

 高層ビルを裏手へ回ると、制服姿の警備員が立っていた。警備員は、デパートの従業員入り口のような扉を、守っていた。吉田は足を止め、軽く会釈した。

「お、吉田さん、おはようございます」

 警備員は吉田に気付き、挨拶した。吉田は再び会釈した。

「今日は珍しく、お連れさんですか?」

 警備員が大輔を覗き込む。

「いえ・・・」

 大輔は吃った。無関係ではないが、吉田の連れでもない。どのように回答すべきか分からず、吉田を見たが、吉田は口を開かない。

「まあ、良い。地下の施設の中に入るなら、この契約書を熟読しから、住所と名前を書いてね。規約違反には、命がないからね。この前、不正を働いた男がいたけれど、しっかり処分された。馬鹿な男だったよ。だから、君も気をつけなよ」

「命って、どういう事ですか?」

「まあ、規約書を読んでくれ。説明するのは面倒だ。ワシらは、別に商売をやっているわけじゃないからなあ」

 警備員がボードに挟まれた契約書を大輔に差し出した。契約書を受け取り、吉田を見た。何かの指示を欲したが、吉田の表情は動かない。仕方なく契約書に目を通す。

東京地下施設への入館契約書

一 入館者は、館内で見聞した一切を漏洩させてはいけません。万が一、漏洩が判明した場合、如何なる理由があったとしても命の保証は致しかねます。
二 館内への荷物の持ち込み、持ち出し不可。万が一、持ち込み、持ち出しが判明した場合、如何なる理由があったとしても命の保証は致しかねます。
三 ・・・

 規約は堅苦しい文体で用紙一面に記述されていた。大輔は、賃貸契約書やアルバイトの就労契約書しか読んだことがなく、内容に困惑した。命の保証とは、果たして殺されてしまうのだろうか。

「吉田さん。命の保証は致しかねますと記載されていますが、万が一の場合は殺されるのでしょうか? 吉田さん、教えて下さい」

 大輔の問いへ、吉田は答えない。表情も変えない。

「さあ、どうするの? 入る入らないは君の自由だよ。強制はない。ここは自由の国だ」

 警備員は、ボールペンを差し出し催促する。

 大輔は考えた。情報を漏らさなければ殺されることはないだろう。何かの脅しだろう。法治国家の日本で、こんな紙切れ一枚で拘束もされるわけがない。もし、何かあれば警察に駆け込もう。有名な弁護士にお願いしよう。大学の学生部へ相談しよう。心配事が湧いてくるが、それらは瑣末なものだ。地下施設では何が待っているのだろうか。吉田はどんな仕事をしているのだろうか。不安よりも、興味が凌駕した。

 大輔はボールペンを手に取り、震えながら署名をした。

「斉藤大輔くんだね」

 警備員が署名を見て、大輔の名前を読み上げた。大輔は拳に力を入れて、小さく頷いた。

 鞄、財布、ポケットに入っている自宅の鍵までも警備員に預け、身体検査を受ける。疚しい気持ちはないが、身体が強張ってゆく。
警備員が笑みを作る。地下へ降りる準備が整った。

 頑丈な扉が、唸りを上げながら開いた。


続く。

長編小説です。

花子出版  倉岡

文豪方の残された名著を汚さぬよう精進します。