『調べることを止めてみる』の後日談


こんにちは。

数ヶ月前に、『調べることを止めてみる』の記事を書きました。



日が経ち、花子出版のnoteを読んでくれている友人と話す機会がありました。これも、かなり前の出来事になりますが・・・。


ドライブしながら京都で過ごした学生生活の話をしていました。その時、ふとした疑問が頭を駆け抜けました。

それは・・・、
京都市北東部に左京区とあります。銀閣寺付近。そして、西側の太秦を包含して右京区があります。ムムム、よくよく考えますと、東側に左京区が、西側に右京区が位置することに違和感を感じます。方位磁針を見ても明確ですが、東なら右ですし、西は左の筈です。

そこで、スマホを手に取ろうした僕の手は、友人の言葉で止められました。

調べずに考えよう』と。

それから、車窓を眺めつつ二人で話し合いました。


会話の概略

「先ず、他の区の位置の把握から始まりました。上京区の下に、中京区、下京区、そして、南区。成る程、成る程・・・」
「そう言えば、京都御所があるなあ・・・」
「都の京都は、もしかすると御所に碁盤の目状に作られたのでは?? 京都御所の正門も南向きだ」
「南が正門ならば、南を中心に考えると、左側か東になる。そして、右側が西になる!!」
「おそらく、僕らの意見で間違いないだろう」


後日、調べてみました。

Wikipediaより。

「左京」とは、天皇の在所すなわち御所から見て左側の意。天皇は南面して高御座に座っていたので左は東になる。そのため北を上にした現代の地図上では右にありながら左京と呼ばれる。本来左京といえば平安京のうちの東側(洛陽または洛中)のことであったが、京都市の行政区として生まれた左京区は鴨川左岸の洛東(洛外)地域に当たる。現在はその後の市町村の統廃合により、さらに外縁の旧愛宕郡部を中心としたかなり大きなものとなっている(右京区が旧京北町と合併するまでは、京都市全11区の中で最も大きい面積の区であった。また当区の面積だけで大阪市全域よりも広い)。


成る程、成る程。大凡、当たっていた。


まあ、合否はどうでも良いのです。二人で共有した、吟味と議論の時間が有意義な時間となったのです。もし、スマホでちょちょっと調べていましたら、その時間を失っていたわけでして。

振り返ってみますと、安易に調べる癖がついていると感じます。
知らなくてもよい情報の渦中を泳いでいるような状態ですね。気になった、地動説と天動説をちょっと調べてみる。本来、天動説でも地動説がどちらであろうと、私たちの生活には影響はないはず・・・。京都の左京区の話も似ています。左京区が東にあろうが西にあろうが、僕らの生活に直結しませんが、なんとなく気になる。そして、吟味もせずに安易に調べてみる。

勿論、調べることは大変素晴らしい事です。知識欲は欲求の本質的なところだと思います。ですが、その方法を模索しても良いのでは?と、考える今日この頃です。何故なら、普段から多くの情報を目にしていますが、友人考えた時間の方が記憶に残っているんですよね。ただそれだけです。


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花子出版     倉岡

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