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萩を訪ねて Part1 -吉田松陰-

こんにちは。

なぜか以前から「萩」引かれていました。萩という品の良い名前もさることながら、山口県の日本海側という未踏の地に、一体何があったのだろうという、私の興味をひき続けている場所、それが萩です。

先日、その萩を訪れましたので、記事を書きます。

萩にいきたい!!

とばかり考えており、どのような街なのかは殆ど知りませんでした。萩城跡地があるくらいの前情報です。
兄から、「吉田松陰の地だから色々巡った方が良い」という情報を得ました。吉田松陰につきましては、学生の時に歴史で習ったくらいで、何をされた人なのか、殆ど記憶が抜け落ちていました。

さて、車で走ること、幾多の時間。
ようやく萩に入ります。早速、松蔭記念館がありました。


はー、そうなんだ。吉田松陰は、30歳という若さで夭逝されたわけです。私は現在35歳。となりますと、当然ながら吉田松陰よりも歳を重ねたわけです。もし、私がたった今に鬼籍に入ったとしても、倉岡剛記念館などが作られることはないでしょう。恐らくは・・・。少し残念ではありますが、これが現実。比較すること自体烏滸がましいものですが、それほど吉田松陰は偉大なわけであります。
益々、私の吉田松陰に対する好奇心が湧いてきました。

記念館の館内は広々としており、吉田松陰に精通してなくでも、その軌跡を勉強することができます。


気に入った、身の引き締まる言葉を記述します。


身はたとい武蔵の野辺に杉ちぬとも、留め置かまし大和魂

十月二十五日
二十一回猛士

私は今年で三十歳になった。まだ一つのことをもなすことがなくて死ぬのは、穀物のまだ花を咲かせず実を結ばないのに似ているから、惜しいような気持ちもする。しかしながら、この私の身についていえば花咲き実結ぶときである。かならずしも悲しむことはないであろう。なぜならば、人間の寿命には定めがない。穀物の成育のように、かならず四季を経過しなければならないのとはちがうのである。

これは『留魂録』(りゅうこんろく)の一部です。これは吉田松陰が処刑前に獄中で、門弟のために著した遺書であります。


命の尊さと儚さ、そして人生の意味を齧らせていただける、貴重な言葉だと感じます。毎日、お経のように唱えるなら、生への本気さが増してゆくことでしょう。


松下村塾の風景。

色々な展示


などなど、大変勉強になる空間でした。

吉田松陰記念館を出て、さらに車を走らせます。


無事に参拝することができました。感謝感謝!!


記念館で書籍を購入しました。読みましたら、記事を書きますので、今しばらくお待ち下さいませ。


では、萩を訪ねてのPart2で会いましょう。


花子出版  倉岡 剛


文豪方の残された名著を汚さぬよう精進します。