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『義』  -亡き人に想いを馳せる人- 長編小説



亡き人に想いを馳せる人

 大輔は電車を乗り継ぎ、多磨霊園に着いた。多磨霊園入り口で仏花を買い、園内に入る。霊園は想像した通りの静けさだった。大きく深呼吸をして、吉田が参っていた山岡家の墓を目指し、曖昧な記憶を探りながら足を進めた。蝉の鳴き声と墓跡を駆けるける清澄な風が、懐古的な気分にさせ、先ほどの鬱憤とした感情が氷のように溶けてゆく。

 各区間を記している案内板を見て、墓の間に敷かれた路地を歩く。手入れが行き届いている墓もあれば、草が茂り朽ちかけた墓もある。故人に対する扱いが様々で、空笑いをした。

 暫く歩くと、見覚えのある景色が広がり、山岡家の墓に辿り着いた。不謹慎ながら、遠足を終えたような達成感が沸き立つ。

 墓跡名が彫り込んである棹石の下に、真珠色の菊の花が一輪だけ備えられていた。手に持って眺めると、菊の花は瑞々しく輝いており、日の経過を感じさせない。吉田が供えたのだろうか。菊の花を元の場所へ戻し、買ってきた仏花を右側の花立に供えた。花立には、十分の水が注がれており、炎天下でも枯れることはないだろう。

 手を合わせて瞼を閉じ、吉田の友を妄想する。吉田の友となると、格闘仲間だろうか。もしくは、試合中の不慮の事故で倒してしまった相手だろうか。吉田と同じ強靭な男の肉体ばかりを想像してしまう。すると、後ろから女の声がした。

「こんにちは」

 女の声に驚いた大輔は、疚しいことをしているつもりはないが、筋肉が強張り、ぎこちなく振り返った。目の前には、老成した女が立っていた。女は夏らしい花柄の膝下までのワンピースを着て、白い日傘をかけていた

「こ、こんにちは」

 大輔は挨拶を返す。頬まで強張り、声もまともに発せなかった。

「失礼ですが、どなたかしら?」

 女の問いに、大輔は唾を飲んで答えた。

「勝手に墓参りをして、すみません。山岡さんの身内ではありません。知り合いの知り合いと言えばいいのでしょうか。俺は、斎藤大輔です」

「そうですか。謝らないで下さいね。信心深いことは、良いことですよ。お若いのに、珍しい。私は山岡幸子です」

 大輔は幸子へ一礼をし、墓の前から離れた。大輔と入れ替わるように、幸子は墓の前に立ち、線香をあげた。線香の煙が、幸子を幻想的に取り巻く。

「斎藤大輔さん」

 幸子は合わせている掌を離し、振り向いた。

「花を供えて頂き、ありがとうございます。きっと、ご先祖様も喜んでいるでしょう」

「お供えした甲斐がありました。山岡さんは、よく来られるのですか?」

「大輔さん。幸子とお呼び下さると、嬉しいです」

「幸子さんですね、分かりました」

「私は府中に住んでおりまて、多磨霊園には近く、毎月一度は訪れます。それはそうと、私がこちらに参りますと、毎回、綺麗な花が供えてあります。そちらにあります、純白の菊の花。私の息子が亡くなりまして、かれこれ二十年ほど経ちますが、記憶にあります限り、一度も欠くことがありませんでした。息子の知り合いでしょうかねえ・・・」

 幸子は口元を手で押さえつつ、寂しさを覆い隠すように笑みを浮かべた。その時、大輔は理解した。菊の花は吉田の備えた花だと。となると、『友のために戦っている』と口にした吉田は、亡き友のための戦いだ。そして、亡き友のために墓参りだ。吉田を突き動かす友とは、一体どんな人物なのだろうか。大輔の興味が益々駆り立てられてゆく。

「どなたでしょうか? 俺は存じ上げませんが、きっと、固い絆の友人なのでしょう」

 大輔は本音を隠した。

「固い絆の友人ですか・・・。そんな友人を持った息子は幸せですね。大輔さんも、良き友人と巡り会えますと、素晴らしい人生が待っておりますよ」

「幸子さん、お願いしたいことがあります」

「何でしょう?」

「息子さんのことを、教えていただけませんか? もちろん、こんな見ず知らずの男へ、気軽に話せる内容ではないことを、理解しています。息子さんの死なんて、想像しただけで辛すぎる出来事です。でも、気になって仕方がありません。俺は・・・。こんな男で、申し訳ありません」

 大輔は、倫理を超えて沸き立つ好奇心が虚しくなり、俯いた。幸子は一瞬だけ表情を固めたが、すぐに気品のある笑みを浮かべ、ゆっくりとした口調で話しを始めた。

「構いませんのよ。息子が亡くなり随分の月日が経過しましたから、この辺りで思い出すことは、息子にとっても良いことでしょう。丁度私も、思い出そうとしていた頃です。夏らしい蝉の声を聞いておりますと、そんな気分にさせてくれます。大輔さん。御墓参りする人に、悪人は居りませんのよ。顔を上げて下さい」

「ありがとうございます」

 大輔は一礼をした。

「今時に珍しい、礼儀正しい青年ね。ここで長話するのも、億劫ですので、移動しましょうか。車で来ていますから」

「はい。よろしくお願いします」

 二人は路肩に止めた幸子の白い車に乗り込み、霊園を後にした。

「どちらに参りましょうか。何か御飲みになりたいものは、御座いますか?」

 サングラスをかけた幸子が、問い掛ける。

「いえ、幸子さんにお任せします。俺は熊本から出てきまして、この辺りに詳しくありません」

「へー、そうですの。御両親は、さぞ御心配でしょう。こんな大都会に、独りでお住みになっているのですから。東京は善人ばかりでは、なくなりましたからねえ」

「どうでしょうか。偶にしか連絡取りませんので、親の気持ちは分かりません。田舎ですので、呑気に暮らしていると思いますよ」

「そんなことは御座いませんよ。子と親の関係は何歳になりましても、変わりません。ずっと心配する生き物、それが親なのです」

「そんなものですかねえ」

「ええ。大輔さんも、子供を授かりますと、きっとお分かりになるでしょう。そうだわ。これから、私の家にお越しになりますか? ここから近い場所ですし。大輔さんと話をしていますと、息子の写真を見たくなりましたの。こんなオバさんの楽しみに、お付き合い頂けると、嬉しいのですが」

「はい。宜しければ、お邪魔します」

 幸子が丁寧にアクセルを踏み込むと、車は地を舐めるように加速した。



続く。

長編小説です。

花子出版   倉岡


文豪方の残された名著を汚さぬよう精進します。