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めぐりめぐって

こんにちは。

寺や仏閣、神社や史跡を見るとついつい立ち寄ってしまいます。そこの歴史を知り、ほうほうこんな歴史があったんだなあ〜なんて物思いに耽るのです。
平均寿命迄生きると仮定して、現在35歳、あと45年の歳月。残念ですが、日本にあるすべてを覗き見ることは不可能でしょう。時間的、物理的、金銭的な問題があります。
そんな中でもご縁のある神社は積極的に行こうと思っております。

さて、先日面白いサイトを見つけました。

ここは、全国の神社や寺院を検索できるサイトです。
かなり細かいところまで探すことができます。


僕の実家がある熊本の山都町でも、86件見つかりました。知らない神社がこんなにあるなんて・・・と、驚きです。
神社によっては、成り立ちなどの詳細が記載されていますが、小さな神社(神社に優越をつけるのは不躾ですが)は何も記載されていません。

帰熊の際に二つの神社にお参りをさせていただきました。
出雲神社と入佐神社。
特段意味があったわけではなく、出雲神社は出雲の文字に惹かれた為であり、入佐神社は親戚が住んでいる地域にある神社だからです。


出雲神社から


狭小な山道を走り、ようやく辿り着きました。Googleマップには、表示されています。

震災の影響を受けたのか石段が隆起しています。これも味わいです。踏みしめて登っていきます。
出雲神社の由来が木に記載されていました。うーむ、一部しか読めない。

そこで、親族の知り合いにお願いして読んでいただきました。
町史には、

元亀のころ(1570~1573) 出雲大社から勧請したといわれている。その際神輿下向の時、大社の椰の木の小枝を持って来て、挿したところが発芽し、しだいに成長して現在に及ぶといわれている。天文12年(1543)のころ、佐藤某東国からの帰途出雲大社に詣で、二神の分霊を奉じて、出雲神社と尊称し、その後この地の氏神として崇敬厚かったが、小西の兵火に遭い焼失、慶長年間(1596~1615)に社殿を再建され、今日に至るといわれている。

記載されていることと町史の資料でほとんど同じことが書かれているようです。やはり、出雲大社とゆかりがあったのです。いやー、面白い。


次に、入佐神社



上記のサイトを参照しました。

入佐神社は小高い丘の上にあり、村を一望できます。阿蘇惟景公が奉勅祭祀した神社だと云われています。弘安4年(1281年)のことです。先日、町史の記事を書きましたが、この入佐神社から推測できるように、かなり以前から入植し人々の生活が営まれていたようです。
さらには、菅原道真公も祀られているとのこと。
学問の神様でありますので、その薫陶を受けたいものです。


歴史に思いを馳せる良き時間となりました。そして、出雲神社で木に記載された文字を読めないことは、ある種で歴史への冒涜であるように感じました。重要な発見や学ぶを逸するわけであります。連綿と受け継がれる言霊を、我々は後世に引き継ぐ必要があります。有限の時間ではありますが、正しい歴史観を持って、研鑽を積み、地に足をつけて生活していこうと思います。


ではでは!!


花子出版     倉岡剛

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