スポーツと文字の交雑   三島由紀夫先生

こんにちは。

師走に入り、皆様もお忙しくお過ごしの頃でしょうか。
夏にこの記事を書こうと思っていましたが、いつの間にか年末になってしまいました。光陰矢の如し。

今年はオリンピック行われ、その時に帰熊していましたので、テレビにて多くの競技を見ていました。私自身、小学から中学にかけてサッカーを、高校から大学にかけて武道に励んでいたため、スポーツを観戦しますと、血の騒ぎを感じます。特に柔道は見応えがありました。
最近は、あまりトレーニングをしていませんが、また運動を始めることでしょう。

オリンピックに期間に入りますと、人々の関心がスポーツ一色になりますので、新聞にはスポーツ記事が多くなります。
地方新聞、熊本日日新聞の記事「新生面」の中に、三島由紀夫先生のオリンピック観戦をされた際に残された文章が取り上げられていました。記事を切り取り自宅へ持ち帰ったのですが、ちょっと見当たりませんので、記憶をたどりに。
先生は、陸上選手の走る姿を『空間の壁抜け』と表現されていました。

『空間の壁抜け』・・・。先生らしい、秀逸な言葉選びです。

それから、言葉の全貌を知りたく、先生の著書を購入しました。

三島由紀夫スポーツ論集    -佐藤秀明編-  -岩波文庫-

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『空間の壁抜け』の言葉の誕生は、東京オリンピックの100メートル走決勝で、ボブ・ヘイズが疾走した瞬間を目にされた時に誕生した言葉です。

それから何が起こったか、私にはもうわからない。紺のシャツに漆黒の体のヘイズは、さっきたしかにスタート・ラインにいたが、今はもうテープを切って彼方にいる。10秒フラットの記録。その間にたしかに私の目の前を、黒い炎のように疾走するものがあった。しかも、その一瞬に目に焼きついた姿は、飛んでもいず、ころがりもせず、人間の肉体の中心から四方へさしのべた車輪の矢のような、その四肢を正確に動かして、正しく「人が走っている姿」をとっていた。その複雑な厄介な形が、百メートルの空間を、どうしてああも、神速に駆け抜けることができるのでだろう。彼は空間の壁抜けをやってのけたのだ。

以上抜粋。


僭越ながら私も文章を書いていますが、スポーツを文字にすることは、非常に難しい。野球のラジオ中継のように、起きている事実をこと細やかに書いたとしましても、それはただの事実の羅列であり、読者の脳内にスポーツの現場で起きていることを、移築できません。
文章にて、スポーツ会場で起きているドラマを読者に体験してもらうには、やはり事実と芸術性の両者がうまく絡み合ってこそ、成り立つものでしょう。
先生の文章を読んでいますと、1964年のオリンピックが、たった今に号外を受け取って読んでいるような、既視感と高揚感がありました。


『三島由紀夫スポーツ論集』は、オリンピックを観戦記以外にも、スポーツや武道に特化した多くの文章が集約されています。
幼少期に軟弱な肉体にて劣等感を抱き、ボディービルダーの世界に入って行かれたのは、有名な話ですが、ボディービルダー以外にも、空手や剣道、ボクシングなどを果敢にやっておられました。
目を引きますのは、剣道です。
先生は、吉川正実七段の人柄に惹かれ、吉川正実七段が転勤になりますと、転勤先の道場についてゆき、東調布警察署から渋谷警察署へ移って、懸命に竹刀を振っておられたとのこと。
文豪であり巨匠である先生が、教えを受けるために、道場を転々とされていた姿は、小説家としての先生からは、多少乖離しているように思えて驚きました。いやいや、これこそが小説家としての先生神髄なのでしょうか。
先生の意外な一面を知り、欣喜雀躍といった気持ちです。

富士の麓の山中湖の脇に、三島由紀夫文学館があります。文学館を訪れ、先生についてもっと研究したいと思っています。
また記事を更新しますので、その時はお付き合いくださいませ。


三浦半島から見える富士山


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花子出版   倉岡


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