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ごめんね、ありがとう。

 店内は薄暗く、淀んだ空気が流れている。鬱蒼とした自分には居心地が良い。コープスリバイバーを片手に、須藤明は目に涙を、口に笑みを浮かべていた。
「隣、空いてる?」
話しかけてきた美女もどこか、陰があった。どうぞ、気が付いたらそう言っていた。
「カミカゼを」

 しばらく静かに飲んでいたがふと隣を見た。見れば見るほど美しい。しかしどこか、元恋人の面影を感じた。似ている。そう考え、はたと思い直す。
「末期だな」
思わず呟いた言葉に、頭にクエスチョンマークを浮かべて美女がこっちを見ている。
「いえ、何も」
くぐもった声で慌てた俺に、美女は笑っている。
「美香です」
「あ、え、あ、明、です。須藤明」
突然の自己紹介に思わず答えてしまった。
「お酒、好きなんですか」
「ええ、まぁ」
好きというか、ほとんど依存症だ。普段はもっと汚い居酒屋で安酒をあおっている。今日だって、暗い古びたバーだから入る気になったのだ。グラスの氷が音を立てる。
「お先に」
そう言って出ようとすると美香が呼び止めた。
「このお店で、また」
こちらを真っ直ぐに見て言う彼女に、曖昧な返事をして逃げるように店を出た。

 もう一生、大事な人など作らない。そう決めていた。それなのに何故だろうか、どうにも気になってしまい例のバーに通い詰めた。酒を飲みたいだけだ、そう言い聞かせた。しかし行く度に美香と会い、やがて美香に会いに行っている自分に、気付かないふりをするのも限界にきていた。会う度に惹かれ、彼女もまた同じ気持ちのようだった。

 何度目かの逢瀬で、彼女は意を決したように言葉を発した。
「私……、元男だったの」
一瞬、何を言われたのか分からなかった。それくらい、彼女は完璧に女だった。ゆっくりと、これまでの人生を語ってくれた。男として生まれたこと、性自認に違和感があったこと、いじめられ親の理解も得られなかったこと、一人決意して女になったこと……。そして今、俺に恋をしていること。
 話を聞きながら確かに、自分の中にも恋心をはっきりと自覚した。守りたい、そう思った。
「今度は俺の話を聞いて欲しい」
ぽつり、ぽつりと膿を吐き出す。一生を約束したパートナーがいたこと、彼女は亡くなったこと、彼女には忘れられない男がいたため結婚はしていなかったこと、しかしそれを含め愛していたこと、彼女が亡くなってから生活が荒れ酒浸りになっていたこと、美香と出会いそれが改善されてきていること……。

 気が付くと俺たちは裸で抱き合い、泣きじゃくり、慰め合っていた。



 それから依存症の治療をし、断酒会にも参加した。定職につき、安定した生活を手に入れた。少しずつ、昔の話も美香にしていた。俺の元パートナー、わかなは、性的暴行の果てに殺された。わかなの家だった。部屋は荒れていなかった。つまり家に招き入れたのだから、痴情のもつれだろうと捜査はずさんだった。俺とは結婚していなかったから
「他にも男がいたんでしょう」
とまで言われた。そんな女では無かった。必ず、何か事情があるはずだ。俺は素人ながら、調査もしていた。わかなの昔の交友関係など洗い直した。けれどついぞ犯人は見付けられなかった。警察も、諦めているようだった。

 ある時そんな話をしていると、美香が涙して言った。
「ごめんね、ありがとう」
話した俺への謝礼だろうか。本当に良い人に出会えた。彼女と出会った最初の日はわかなの命日だった。きっとわかなが出会わせてくれたのだろう。今度こそ、幸せにしよう。

 しかしどうしたことか、美香は俺とは対象的に精神的に参っていくようだった。俺の話が負担になったのだろうか。理由はいくら聞いても話してくれない。とにかく今度こそ幸せにしようと決意したのだからと、目一杯愛した。美香も、俺を愛してくれた。それは間違いない。落ち込んでいる彼女を励ます目的もあって、俺たちカップルのお披露目パーティーをすることにした。友人を呼んで、美香を紹介した。中にはわかな経由で友人になった人たちもいたが、祝福してくれた。
「一時はどうなることかと思ったけど、立ち直って良かったよねー」
「本当。美香さん、明を立ち直らせてくれてありがとうね」
「わかなもきっと、喜んでるよ」
「そうだよね。あの子めちゃくちゃ優しかったもん」
「そういえば覚えてる?あの子と仲良かった男子にちょっかいかけたのが、わかなにバレた時」
「ああ、絶交されるかと思ったよね」
酒の力もあったのか、俺も知らない昔話をはじめる友人たちを見て、俺自身が安心しているのを感じていた。わかなのことは忘れられないが、少しずつ過去になりつつあるようだ。

 友人たちと楽しく過ごし、その夜久々にわかなを思い出しながら一人で散歩をした。色々あった。犯人を探すことは諦めていないが、前を向こう。これからは、美香と歩もう。わかなもきっと、それを望んでくれる。そうだよな。空を見上げ誰とも無しに呟いた。

 帰宅後、衝撃の光景を目にする。




 はじめは、ほんの好奇心だった。みすぼらしい格好をしたいい歳の男が、目に涙をためていて可愛かった。ちょっと遊んであげようかしら、そう思った。
「隣、空いてる?」
少しの同情と皮肉も込めて、カミカゼを頼んだ。大抵の男はここで声をかけてくる。私ったら美しいから。でも今回はそうならなかった。
「末期だな」
そうみたいね。私のことを見る目、気付いているわよ。少し、手助けのつもりで名乗った。よく見ると、好みの顔をしている。
「お酒、好きなんですか」
見るからに酒好き、というよりこれは依存症ね。さっきからずっと、全く味わっていない。あおるように飲んでいる。今も一息に飲み切り、グラスが音を立てる。
「お先に」
逃げられると追いたくなる。思わず呼び止めて目を見て、最高に美しい顔でこう言った。
「このお店で、また」

 思った通り、あれからいつ行っても彼に会った。最初はからかうだけのつもりだったけれど、良い男ね。本気になっていった。相手も恐らく、私を気に入っている。しかしそうなると問題がある。私は生粋の女ではない。所詮作り物。手術も済ませてはいるけれど、脱げばバレる可能性がある。久々に、別れを想像して涙した。でも彼も何か訳ありっぽかったはず。正直に言えば、もしかしたら……。彼の性格から考えたら、黙っていてバレるよりも正直に言った方が勝算は高そう。私自身、私を知って欲しくて言いたくなっていたし。こんなにも本気で人を愛するなんて。人生で初めてだった。
「私……、元男だったの」
彼、須藤明は戸惑っているようだったけれど、拒否している感じでは無かった。ああ、ようやく私も幸せになれる、そう感じた。
 彼の事情は、想像していたよりも少し重かったけれど、そう遠いものでも無かった。前の女など忘れるくらい愛そう、この時はまだそう思っていた。


 

 私には、忘れられない人がいる。幼馴染で、中学時代特に仲良くしていた男の子だ。彼は私にとって、唯一無二だった。何でも話した。親友のようであり、恋人のようだった。両思いだと思っていた。大好きで、何をするにもまず彼を誘った。告白されるまで秒読み、私も周りの女友だちも皆そう思っていた。
 ある日、大切な話があると彼に呼び出された。いよいよだ。高鳴る胸を押さえつけ、約束の場所に向かった。少し、舞い上がっていた。
「わかなのこと、大事だから。言っておこうと思って」
ここまでは、予想通りだった。そう、ここまでは。
「俺、私、さ。身体男だけど。女っぽいってよくからかわれるじゃん」
「う、うん」
少し、予想と違う言葉に戸惑うが彼の言う通りだった。私はいつも周りの声から彼をかばっていた。女性的感性のあるところが、彼の良いところだと思っていた。
「女、なんだ、よ」
「……どういうこと?」
「ずっと、昔から、自分のこと女だと思ってる。自分のこと男だって思ったことは無い。好きになる相手は男だし」
「親友のわかなにだけは、言っておきたくて」
それからは、ショックでなんて答えたか覚えていない。あの時は、子どもだった。精一杯伝えてくれたのに、自分のことで一杯一杯だった。失恋した。そのショックが大きかった。女友だちには、彼は自分を友だちとしか思っていないということだけを伝えた。

 自然と、彼との距離は広がっていった。あまりのショックでしばらくは周りが見えていなかった。彼がどう感じたか、考える余裕も無かった。後になって、友人たちが彼をいじめていたことを知った。彼女たちは私のためを思ってしたらしかった。これは間違っている。彼は何も悪くない。私が一人、舞い上がっていただけだ。
 友人たちに注意をしたら、いじめはやめたらしかった。けれど私は、彼と元の関係に戻ることが出来なかった。私にとって彼はずっと、恋する相手だった。そうこうしているうちに卒業となり、彼とは別れた。数年後、彼は家族にも理解が得られず絶縁し出て行ったと聞いた。あの時、私が味方になってあげられていたら。後悔でいっぱいだった。それから何人かと付き合ったが、心にはいつも彼がいた。

 大学を卒業してしばらくして、恋はしないと決意していた私に猛アタックしてきた男性がいた。事情を話すと、それも含めて愛するから、と言われた。明は、心の底から愛してくれた。人に愛される喜びを知った私は、結婚はしないもののパートナーとして明と付き合っていた。
 幸せに暮らしていた私は、再び親友と呼べる存在に出会った。今度は女の子で、趣味が合った私たちは急激に仲良くなった。ある日、大事な話があるからと彼女を私の部屋に泊めることになった。友だちを家に泊めるのは久々で、楽しみだった。今度はどんな話でも受け入れよう。そう心に決めていた。張り切って準備した。重要な話のようだったので、明や周りには黙っていた。
 その日、私は殺された。

 彼女は、彼だった。彼は私が彼の秘密を言いふらし、いじめさせていたと思っているらしかった。
「お前に同じ屈辱を味わわせてやる」
そう言って、彼、は私をレイプした。そのまま首を絞めてきた彼の表情は、私以上に苦しそうだった。私は、ようやくあの時の罪滅ぼしが出来るのだと思った。誰より愛した、彼の手によって。
「ごめんね、ありがとう」

 


 明のことを本当に愛している。もう、戻れない。彼の話を聞くうちに、自分が手にかけた女に恋人がいたことを思い出した。手術を終える前の、封印した過去だった。あの女が悪い。自分をどん底に陥れたのはあの女だ。しかし、よりによって明の……。
 自分がどんどんと精神的に参っていくのを感じていた。いじめられた時も、親に勘当された時も、一人で立ち上がった。明に出会い、私は弱くなった。愛を知った。

 罪悪感から目を背けていたあの日、明の友人たちに紹介された。その中には、昔自分をいじめてきたあいつらもいた。わかなとつるんでいた繋がりで友人になったらしい。容姿も名前も変わっているので、向こうは気付かない。憎しみでどうにかなりそうだった。その時、信じられない話が耳に入った。
「そういえば覚えてる?あの子と仲良かった男子にちょっかいかけたのが、わかなにバレた時」
「ああ、絶交されるかと思ったよね」
どういうことだ。あれはあいつの命令だろう。
「わかなったら、彼は悪くないってずっと言ってたわよね」
「絶対両思いだと思ったのに、失恋して泣いてるから……」
「まぁでも実際、やりすぎだったよね」
「そうね。次会ったら謝らないと」
「私たち、女々しいとか言っちゃったけど、本当にあの子女だったんでしょ」
「どういうこと?」
「男の身体だったけど、自分のこと女だと思ってたんだって。それで家族とも絶縁状態らしいよ。私も卒業してから聞いたんだけどね」

 信じられない。あれは、あのいじめは、あの女の、わかなの命令じゃなかったのか。わかなが言い触らしたから、学校にも家族にもバレた、そのはず、じゃないのか。俺は、わかなに復讐する、そのためだけに這い上がってきた。わかなのせいでめちゃくちゃになった人生を取り戻したかった。わかなに復讐するためだけに屈辱的なアレを最後までつけたまま、わかなに近付き、レイプし、殺した。その後完全に女になり、名前も変え、容疑者になりようも無かった。まんまと逃げおおせ、明と出会い、幸せに、なるはずだった。

 その日の夜、私の様子に気付かない、機嫌の良さそうな明が出掛ける用意をしている。最後の望みをかけ、努めて平静に、聞いてみた。

「昼間の、いじめられた男の子って」
「ん?あ、そうそう、わかなの「忘れられない男」だよ。ずっと後悔してた。自分が味方になってあげられていたらって。失恋で周りが見えていなかったって。でも好きなんだとよ。悔しいよな」
「んじゃ、ちょっと散歩してくるわ」
笑顔で出ていった明の顔は、涙で滲んでよく見えなかった。すぐ出て行ったから私の表情には気付かなかったのだろう。助かった。彼の中では笑っていたい。

 その夜、私は自殺した。


 

 帰宅し、愛する女の青ざめた顔に気が狂いそうだった。何とか救急車が間に合い、美香は一命を取り留めた。美香はそのまま、精神科の閉鎖病棟に措置入院となった。入院準備のために美香の荷物を整理している時、くしゃくしゃになった紙を見付けた。そこには、昔懐かしい文字が並んでいた。忘れるはずもない。わかなの筆跡だった。そんなはずはない。何かの間違いだと思いつつ、どこか疑っている自分がいた。美香は、いつ女になる手術をしたと言っていた?

 全ての不可能を消去して、最後に残ったものが如何に奇妙な事であっても、それが真実となる。
 それから、わかなの事件を捜査しなおした。そんなはずはない。美香は関係無い。それを証明するために。あらゆる手を使った。美香の性別適合手術をした病院を突き止め、看護士と関係を持ちカルテを盗み見させた。わかなの遺品を遺族から借りて卒業アルバムから例の男の写真を拡大コピーした。筆跡鑑定もした。
 美香は、わかなの「忘れられない男」だった。

 わかなの日記を読み漁った。
「仲良くなれそうな女の子と出会った」
レイプ犯を探していた時、女は関係無いと除外していた。しかし今改めて読み返してみると、こんな一文が目に止まった。
「自分と似ていて趣味が合う。彼が女の子になって会いに来てくれたみたいだ」
どうしてこんなに大事なものを見逃していたのだろう。

 同じ頃、美香が閉鎖病棟から一般病棟に移った。会いに行き、問いただした。はじめは黙っていた美香も、少しずつ話し出した。それからのことは覚えていない。信じられない。美香が、わかなを殺していた。長年追い続けた犯人を、俺は愛していたのか。


 

 憑き物が取れた美香はほどなくして退院した。自首する前にひと目見たいと明の元を訪ねた。そこには、酒浸りになり変わり果てた姿の明がいた。
「生きてて、良かった」
そう言った美香に、明は派手な音を出しながら襲いかかる。美香は、抵抗しない。首を絞められながら涙を流し、美香は言った。

「ごめんね、ありがとう」

 遠くから、パトカーのサイレンがこちらに向かってくる音が聞こえる。泣き崩れる明の手にはもう、力は込められていなかった。


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