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ギブアンドテイク
私は人間関係において、ギブアンドテイクのバランスは大切だと思っている。
他人であればあるほど、貸し借りなく、忖度なく、生きていきたい。
借りることに依存したくない。
借りたことでそれをウィークポイントのように利用してくる人もいるので、自分を守るためでもある。
貸すことについては、私に貸すという概念がなくなったのかもしれない。何かをしたい、助けようと思う人に対しては、貸しとは思わない。あえて言葉をつけるなら、寄付といったところか。見返りなんて考えない。
私がそう思う人は、すでに近しい人が多いので、その貸し借りを利用しようとする人ではないし、貸し借りと双方が思わずに過ごせる人だ。私が寄付する時もあるし、向こうが寄付してくれる時もある。ナチュラルな気持ちいい貸し借りなしが行われている感じだ。
自分の主張ばっかりしてきて、自分都合で周りを巻き込んで、いざこっちが協力を求めると、今までのことなんてなかったかのように応えてくれない人がいる。応えてくれたとしても、「貸しね」とか平気で言ってくる。普段どれだけ貸してると思ってるんだと内心思うし、なぜこんな人に協力を求めたんだろうと後悔すらする。
そしてその1回の小さな「貸し」をずっとネチネチネチネチ言ってくる……
こういう人種は、どれだけ尽くしたとしても、気持ちのいい人間関係の構築はできない。ギブアンドテイクのバランスがとても悪い……
だから、私はこういう人種に対しては、あまり何もしない。基本的に遠い関係性のまま、社交辞令とビジネスライクのみで、ギブもテイクもしない関係でいたい。
私も最初からこうしてきたわけではない。
昔は自分の身を削るほどギブしていくタイプだった。ギブし続けることで構築された人間関係は、全くいいものではなかった。その当時は、それに気づかず、何ならギブしてる自分に酔ってるまであったかもしれないし、今考えれば偽善者だったのかもしれない。
そんな私が変わったのは、私のギブを都合良く利用され、搾取されていることに気づいたからだ。ギブをすればするほど、私自身がどんどん苦しくなっていって、最初は良心だったものが、恨み・苦しみに変わってしまった。
そこから、このバランスの悪い人間関係は何もいいことを生まないと学び、一定の距離を置くことにした。利用されやすい動きをしていた私が悪い。そしたら、利用されていた人だけから、キレイに付き合いを切られていった。
気づいてなかったけど、この人もだったのか……と多少なりともショックを受けることもあったが、そうして残った人間関係は、とても大切で、何にも変えがたい。
ギブアンドテイクのバランスを保つ強さを持つこと。その強さが私に最高の財産をくれている。
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