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惰眠を貪るのは健康じゃないと楽しくない。虎が子を崖から落とす、ブッダのありがたい教え。

特に誇れることを持ち合わせていない私は、風邪をひかないことだけが、唯一、平たい胸を鳩のように突き出して言えるポジティブなことでした。私は身体だけは強いと。

メンタルは弱いけど、フィジカルな免疫力だけはあると思っていました。なんだったら、風邪で数日、仕事や学校など休む人たちが羨ましかったくらいです。正々堂々とゴロゴロできていいなぁ、と。

しかし先日、7年ぶりくらいに風邪をひいてみて、惰眠を貪るのは健康じゃないと全然楽しくないことがわかりました。熱が出るほど本格的に風邪をひいてしまうということは、汗をかくこと以外何もできなくて、ひどくつまらない時間でした。痛みや寒気や不快感が満載なので、いつもなら至極の時である布団の中も気持ち良くない。寝ている時間さえ快適ではないのです。

風邪をひいている間というのは、誰かが世話をしてくれるからこそ、少しでも充実するというか、休養時間の価値が成立すると私は思います。濡れタオルを頭にのせてくれて、生姜湯や蜂蜜レモンを作ってくれて、おかゆを作ってくれてこそ、醍醐味というか、はじめて病にふせる意味があるというか。

誰も労ってくれなくて、ヘロヘロなのに自分で台所に行って生姜擦るなんて、何にもおもしろくない。相方に、「生姜湯作って〜」と頼むと、「えー今忙しいのに」と嫌そうに返されて、いつも相方が具合悪い時には私は仕事中でも看病してきたのに、なんて仕打ちだ、と腹が立ち。風邪なんて誰かが世話してくれて甘やかしてくれるからひく甲斐があるもんで、誰も世話してくれないなら、ひくもんじゃないなと、風邪をひいてしまった自分を恨めしく思いました。

食欲もないので、食べる喜びもなければ、いつもなら美味しく飲むお酒ももちろん全然欲しくもならないし、つまらない。風邪なんてひくもんじゃぁないなと、心底思った数日間でした。

一応、相方の名誉のために付け加えておきますと、忙しいのに、と文句言いながらも、生姜とレモンと蜂蜜を湯で割ったものを、ちゃんと持ってきてくれました。そうですね、優しいですね。でも、ご飯は作ってくれないので、ヘロヘロの病人がキッチンに行って、相方のご飯を作りました(私は食べる気が起きない)。

相方のご飯なんて放っておいて、勝手に作らせればいいのかもしれません。相方は普段、とても優しく寛大で、勝手にブッダと呼んでいるのですが、私が滅多に病気にならないせいか、私が寝込んでもいまいち気づかないというか、病人だと認識していないので、労わるなんておろか、日常と変わらぬ態度です。

ただ、思ったのですが、この世話をしてくれなさは、“甘えんなよ、自律した人間として、特別扱いはしないぞ、病は気からだから” という、虎が子を崖から落とすような、ありがたいブッダの教えなのかな、と私は悟ったのです。

我々は対等に平等に、という基本方針のもと、財布は別、家賃は折半となっているのですが、私が家事を担当する代わりに、相方が光熱費を支払うという合意があります。だから、これは崖から虎が子を落とすやつだ、私が自分のやるべきことを粛々と行うべきなのだ、と理解しました。

ただ、風邪が治ったあと、相方に「私が風邪引いても看病してくれなかった。生姜湯作ってって言ったら嫌な顔したし。一応、作ってくれたけど。少し悲しかったけど、厳しく私の自律を促してるんだと思って、受け止めたよ」と言うと、ブッダは何も考えてなかったようで、「ただただ、仕事が忙しすぎて、余裕がなかったんだ、ごめん」と笑って言ってました。

ブッダもヒトの子ですから、余裕がない時もあるのです。

ちなみに、虎が崖から子を落とすやつの正式名称は「獅子の子落とし」と言うんですね。「獅子は、子を生むとその子を深い谷に投げ落とし、よじ登って来た強い子だけを育てる」という意味だそうです。

「ブッダの相方落とし」だったな。自分でよじ登る強さを持てよ、と(うちの獅子は無自覚でしたが)。深い谷に落とされた私は、生姜と蜂蜜とレモンとビタミン剤で、2日でなんとか谷から這い上がりました。その後しばらく、落ちた体力の回復には時間を要し、お酒も欲しくない日々が続きましたが。

唯一良かったことは体重が2キロ減って、無情に飛び出ていた下腹が引っ込んだことだったのですが。もちろん、そんな一時的な喜びはすぐに消え失せました。引っ込んだ腹も、もう引っ込んでないし、身体だけは強いと言えなくなって、ますます私の平たい胸を張って言えることは、すっかり無くなってしまいました。

いずれにせよ、深い谷からは自力で上がらないといけないし、風邪をひいても何も楽しくないから、私は二度と風邪はひかんぞ、と決意を新たにしたことをここに宣誓します。


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